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ー15ー うつ病、自殺報道

心療内科に通院する前、私はお腹を下した。本当に私はストレスが身体に顕著に出るらしい。自覚はあった。主治医に会うと、「お会いできて本当に良かった。」とあった。それはカウンセリングの方も同様だった。

私は“うつ病”と診断され、一気に薬の量が増えた。精神安定剤、抗うつ剤、胃薬等…。正直嬉しくなかった。「あぁ、お兄ちゃんと一緒になってしまったな。」と思ってしまった。

久しぶりに外に出た私は人混みに酔い、早く家に帰ってTに会いたかった。その日の晩はかなりキツかった。薬を服用し、寝ようと横になった時。吐き気まではいかないが胸から何か喉へせりあがってくるような気持ち悪さ。身体が薬に吃驚したのだろうか。薬の副作用に私は涙が止まらなかった。

そんな私を彼は心配してくれ、私の手をずっと握ってくれていた。私は何度も波のように押し寄せてくるように、せりあがってくる気持ち悪さを感じる度にTの手を強く握り耐えた。

そして静かに涙を流していたのが、次第に泣きじゃくりワンワン泣いた。Tに対して罪悪感を感じている事を話した。Tは私を抱きしめて否定せず私の話を全て受け止めてくれた。しばらくすると涙も枯れ、いつの間にか気持ち悪さが無くなっていた。

その“胸からせりあがるような気持ち悪さ”は1週間ほど続いた。不安に思った私は処方してもらった薬局に電話して話した。少しずつ身体が順応してくるから大丈夫だと言われた。その言葉通り、1週間ほど続いた後、徐々に収まって無くなっていった。

それが収まるまでは昼間もほぼ寝ていた。Tがパソコンのキーボードを叩く音が耳に入ってくるのが心地良かった。それに、あまり量は食べられなかったが、人と食べる食事はとても美味しいと感じた。

ある晩に「私とTの関係って何て表すんだろうね?」という話になり、2人してお互いに“兄妹”のように思っていることに気づき、笑い合った。彼とは波長が合うのか、一緒に居て心地よかった。

職場に診断書を提出しにいかねばならない日、私はとても憂鬱だった。案の定、お腹を下した。“行く時に子どもに出くわしたらどうしよう。”と不安に思いながらも行った。

施設の玄関の前に着き、そこには昔自分の配属先で見ていた子どもがいて、子どもは私に気付き、笑顔で駆け寄ってきては抱きついてきた。

私はどう接したら良いか分からなかった。マスクをしていて心底良かったと感じた。休職届けを書いている最中は離れていても子どもの泣き声が聞こえてきて、その声でどの子どもが泣いているか分かる、そんな私だった。

私はどんどん食欲が無くなっていき、無印良品のバームクーヘンの一本を朝と昼で半分ずつ食べる程に食欲が落ちた。薬の為に食べているようなものだ。筋肉も落ち、どんどん体重が減っていった。でも、どうでも良かった。

7月19日、速報で“俳優の○○が自殺した”とテレビの上部にテロップが流れてきた時、私の中で強い衝撃が走った。お皿を洗っていた手が止まった。過度な報道により自殺の方法が“首吊り”であったことも分かり、苦しかっただろうな。勇気がいっただろうな。

そして“先を越された”、“良いな”と思ってしまう自分がいた。私には死ぬ勇気が無い。その俳優の死は、ニュースでのザワつきが収まっても私の中にずっとあった。何なら通販サイトでロープを調べたくらいだ。購入はしなかったが。

自殺報道の翌朝、私は主治医より「死にたいと思ったら飲むように。」と言われ処方された苦いシロップ状の薬を服用した。昼まで眠り起きたが、その後はフラフラして立っている事が辛かった。

そのまた翌日は私は何となくTとも居たくなくて、家にも居たくなくて、近くのショッピングモールまで歩いて行った。持ってきた読みかけの本を読み終えてしまった。

かなり歩いたと思うのだが、夜はしばらく寝られず、眠れる気配すら感じず、睡眠導入剤を飲めるギリギリまでめいっぱい飲んだ。2日後にTは地方に帰省すると話を聞いていて、今の不安定な私が5日間1人になることに不安を覚えたのかもしれない。

そしてTは帰省して行った。私は悶々とした。“彼女とも会うんだろうな”、“彼女とセックスもするのだろうか?”、“どんなセックスをするのだろう?”、“どんな話を交わすのだろう?”と。

気になって悶々と考えている私は、全く持ってTと割り切れた関係でなかった。Tの存在は友達以上恋人未満という言葉では括れなくて、セフレでもなくて。やはり兄妹のような関係というのが1番しっくりくるのだけど。兄妹はセックスをしない。(世の中ではあるのかもしれないが。)

でも、Tは私を求めてくるし、私もそれに応じる。私から求める時もある。都合の良い身体の関係はある。客観的に見ると後ろ指を指されそうなのは分かっているが、私は好きなので拒めない。

Tは私のことが好きな訳ではない。これからもこの生活をずっと続けることは不可能だというのも理解している。いつか、決別をつけなきゃならない。私は悶々とした。

本当はTと一緒になりたい。彼女と別れて私と付き合って欲しい。そんな思いを抱きながら、でも“無理”なんだと分かっていて。だからこそ苦しかった。もう消えてしまいたかった。生まれ変わりたい。鳥とか飼い猫にでもなって過ごしたい、なんて馬鹿げたことを考えた。

死んでしまいたい5日間だったが、Tが私の家に服を残して行ってしまい、“これじゃ死ねる訳ないじゃん。合鍵すら渡してないのにさ。”と思ってやり過ごした。でもそこに安堵している自分もいた。ギリギリまで薬を服用し続けた。

起きたら16時なんてことがザラにあった。起こしてくれる人が居なかったからだ。少し生活リズムが崩れていった。夜が怖くて苦しくなって、幼い頃のように“記憶が無くなりますように。”といもしない神様に願いながらベッドに横になった。

私は自傷行為のように自分の二の腕を噛んだり強く吸い、跡をつけるようになった。私が幼い頃やっていたように。Tが帰ってきた時、私は心底安堵した。そして「服残してったら死ぬに死ねないじゃん!」と冗談ぽく言った。

うつ病と診断されてから1回目の通院日、急遽念のためにと採血され、フラフラした。睡眠のことを主治医に相談し、薬を変えてもらった。また抗うつの薬が追加された。

追加された為、また胸からせり上がってくるような気持ち悪さに襲われた。またか、と。いつまでこれと戦えばいいのか。Tがいなくて1人だったら耐えられなかっただろう。


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