さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮
寂蓮法師のこの歌は、新古今集の中でも、特に「三夕」の名歌として世間に知られている。
「真木」を「槙」や「槇」としている向きもあるようだが、その表記に異議を唱えたい。
当時の「真木」はスギやヒノキの美称であり、常緑樹の総称だったはず。
それが槙や槇の字を充てるとラカンマツ(羅漢松)を指すことになってしまう。
要するにイヌマキのことである。
コウヤマキに対するイヌマキなので、当然、スギやヒノキとは別物だ。
古典文学を研究する先生方が植物学にまでそのテリトリーを広げるのは自由だが、明らかな誤解と断言したい。
素人が口を挟む分野ではないのは重々承知の上でひと言添えるが、先生方とは別に、多くの素人さんが何の疑いもなく「槙」を鵜呑みにしているようなので、本当にこのままでいいのかいな?、と思った次第。
植物学からのアプローチではなく、あくまで歌の観賞に主眼を置こう。
「色」は秋の景色であり、「しも」は強意の感動の助詞と習った。
内容は説明するまでもない単純なものだが、二句の「その色としも」が少しだけわかりにくい。
その部分を突いて、小主観とか観念に走り過ぎているとか批判する学者先生がいらっしゃる。
歌意は、秋山の景色を眺めながら、夕暮れのさびしさと心象に浮き上がったさびしさをシンクロさせている。
しかし心の内を表すことなく見事に景を詠んでいる技量は、誰でも作れそうで作れるものではない。
三句の「なかりけり」が効いている。
この詠嘆が作者の想いのすべてと言ってもよい。
山奥ゆえ、誰も訪れない河原である。
泣き出しそうな空のせいもあるが、聞こえるのは穏やかな瀬音のみ。
地元の人だけが知る穴場のような空間だ。
紅葉した河原を独り歩けば、ものみなすべて、死んだら自然に還るのだ、などの妄執も頭の隅をかすめる。
村雨の露もまだひぬ槇の葉に霧たちのぼる秋の夕ぐれ
この歌も寂蓮法師の名歌である。
名歌ゆえに百人一首にも採られている。
こちらは「槇」と断定しているので、解釈は簡単だ。
村雨が残した露もまだ乾き切らぬというのに、槇の葉にはもう霧が立ちのぼっている秋の夕暮れである。
そのまま叙景を詠んだだけにも関わらず、もの寂しさを的確に表現しているのは、道半ばで逝ったものの「新古今和歌集」の撰者であった寂蓮の技量が群を抜いていた証しでもある。
出家して嵯峨野で庵を結んだ寂蓮は、その法名や土地から、瀬戸内寂聴さんを連想する人も多いが、寂蓮は男性である。
寂蓮の俗名は藤原定長。
幼いころ、叔父の俊成の養子になった。
しかし後になって俊成に成家、定家などの男子が誕生したことで養家を去り、仏門に入った。
出家の判断は、養家を追われたか、自らの意思かは不明。
(調べればわかるのでしょうが、時間がないのでスルーします)
衆愚が寄り集まり共存している世間で、私は神仏などこの世にいるのかと疑問視する瞬間もあるが、心のどこかで神仏を信じたいのだと気づく。
これも巡る季節に感応している自分の存在を意識するからこその思いなのだろう。
予報通り、降り出してきた。
氷雨がすべての有機物を濡らしている。