正直者の暴言

また古い日記からの転記です。

日付は2011年5月16日

そう、東日本大震災のおよそ三ヶ月後です。

三月の中頃だったろうか。
川の土手で、野生のセリを根付きのまま数本だけ摘んだ。
帰っておひたしにすると、口の中に春の香が満ちた。

根はしばらく水に浸けて置くと、またひこばえのような可愛らしい芽を出し、小さな葉をつけた。
そのまま放置していたら、たくましく成長した。

したところで、また食べるのは忍びない。
かといって、このまま成長しても、その後をどうしていいのか分からない。
やがて白い花を咲かせるらしいが、咲かせたところで、またその先が見えない。
ゴールをどこにするか悩ましい。
また行って、元の場所に植え戻してみようかと思ったりしているこの頃。


さて、摘んだのは、福島原発が水素爆発を起こした直後だったように記憶している。
東電も政府もはっきりしたことを言わなかったが、大気中には大量の放射性物質が飛散し、そして大地を汚染した。
植物はセシウムをカリウムと誤認して取り込むらしいから、おそらく私の体内にもセシウムが入ったことだろう。
大方は数日で排泄されるものの、セシウムの半減期は三十年という。
レンゲやヒマワリはセシウムを吸収してくれるというが、それでも育った花や種はどう処理すればいいのか。
私はこれから三十年も生きられないから構わないが、それでもセリに限らず、多くの食材が体内に蓄積されるだろう。
鳥や小動物がヒマワリの種を食べる。
食物連鎖が続く限り、人間がそれを止めることは不可能だ。

神奈川県の足柄上郡で、お茶から基準値を大きく越えるセシウムが検出されたことは記憶に新しい。
まさかの東京上空を通り越していたということだ。
いや、通り越すだけではなく、大気中に漂う過程で、広範囲に汚染を拡散させたことは確かだろう。
福島、茨城、群馬の農畜産物の一部を始め、千葉県産(一部地域)の野菜やお茶からも汚染物質が検出されたし、測定していないだけで、日本中の思わぬ場所が汚染のホットスポットになっている可能性だって否定はできない。

要するに、多少の差はあるにしても、地上のどこもが土壌汚染されていると考えるべきで、特に心配なのが、未成年たちが使用する学校の校庭などだ。
放射線管理区域にも関わらず、福島県では全県の小中学校などを対象に放射線モニタリングを実施した結果、調査対象の小中学校から75.9%の汚染が確認されている。
小佐古内閣官房参与が涙の辞任をしたことも衝撃的、かつ象徴的だった。
政府が放射能汚染の安全基準値を引き上げた根拠のない数値がパニック回避のためだったとしても、政府が国民の健康を保証してくれる担保はどこにもない。
校庭の表土を削り取っても、すべての農地を対象にすることは不可能だ。
東電の責任は絶対に免れないが、政府の判断や対応ミスの可能性もあるはずだ。
東電との折り合いが悪かったにせよ、政府の責任も検証されるべきだろう。

数日前、書店で平積みされている新刊に目が止まった。
それは内橋克人氏の「日本の原発、どこで間違えたのか」という朝日新聞出版の新書だった。
以前から著者も好きだったし、本のタイトルにも惹かれて購入した。
元々は、二十九年前に出版された「原発への警鐘」の復刻らしい。
今、この時期だからこその再出版なのだろう。
その前書きには、

 ひとたび原発が立地した地域社会には特有の「暗さ」が感じられたことだ。そうした地域では原発が立地するまでは活発であった賛否の声は消え、地方議会においても反対派はほぼ淘汰の憂き目に遭っていた。

とある。

内容は分かりやすく、現在でも通用する貴重な資料として見ることができる。
中でも衝撃だったのは以下のくだりだ。
少々長いが、どうか我慢して読んで欲しい。
1983年1月26日に行なわれた「原発推進の講演会」の載録だ。
壇上で熱弁をふるうのは、当時の高木孝一敦賀市長。


 只今ご紹介頂きました敦賀市長、高木でございます。えー、今日は皆さん方、広域商工会主催によります、原子力といわゆる関係地域の問題等についての勉強会をおやりになろうということで、非常に意義あることではなかろうか、というふうに存じております。…ご連絡を頂きまして、正しく原子力発電所というものを理解していただくということについては、とにもかくにも私は快くひとつ、馳せ参じさせて頂くことにいたしましょう、ということで、引き受けた訳でございます。

 一昨年もちょうど4月でございましたが敦賀1号炉からコバルト60がその前の排出口のところのホンダワラに付着したというふうなことで、世界中が大騒ぎをいたした訳でございます。私は、その4月18日にそうしたことが報道されましてから、20日の日にフランスへ行った。いかにも、そんなことは新聞報道、マスコミは騒ぐけれど、コバルト60がホンダワラに付いたといって、私は何か(なぜ騒ぐのか)、さっぱりもうわからない。そのホンダワラを1年食ったって、規制量の量(放射線被曝のこと)にはならない。そういうふうなことでございまして、4月20日にフランスへ参りました。事故が起きたのを聞きながら、その確認しながらフランスへ行ったわけです。ところがフランスまで送られてくる新聞には毎日、毎朝、今にも世の中ひっくり返りそうな勢いでこの一件が報じられる。止むなく帰国すると、“悪るびれた様子もなく、敦賀市長帰る”こういうふうに明くる日の新聞でございまして、実はビックリ。ところが 敦賀の人は何食わぬ顔をしておる。ここで何が起こったのかなという顔をしておりますけれど、まあ、しかしながら、魚はやっぱり依然として売れない。あるいは北海道で採れた昆布までが…。

 敦賀は日本全国の食用の昆布の7~8割を作っておるんです。が、その昆布までですね、敦賀にある昆布なら、いうようなことで全く売れなくなってしまった。ちょうど4月でございますので、ワカメの最中であったのですが、ワカメも全く売れなかった。まあ、困ったことだ、悔しいことだちゅう…。そこで私は、まあ魚屋さんでも、あるいは民宿でも100円損したと思うものは150円貰いなさいというのが、いわゆる私の趣旨であったんです。100円損して200円貰うことはならんぞ、と。本当にワカメが売れなくて、100円損したんなら、精神的慰謝料50円を含んで150円貰いなさい、正々堂々と貰いなさいと言ったんでが、そうしたら出てくるわ出てくるわ、100円損して500円欲しいという連中がどんどん出てきたわけです(会場爆笑、そして大拍手?!)。

 100円損して500円貰おうなんてのは、これはもう認めるもんじゃない。原電の方は、少々多くても、もう面倒臭いから出して解決しますわ、と言いますけれど、それはダメだと。正直者がバカをみるという世の中を作ってはいけないので、100円損した者には150円出してやってほしいけど、もう面倒臭いから500円あげるというんでは、到底これは慎んでもらいたい。まあ、こういうことだ、ピシャリとおさまった。

 いまだに一昨年の事故で大きな損をしたとか、事故が起きて困ったとかいう人は全く一人もおりません。まあ言うなれば、率直に言うなれば、一年一回ぐらいは、あんなことがあればいいがなあ、そういうふうなのが敦賀の町の現状なんです。笑い話のようですが、もうそんなんでホクホクなんですよ。

 (原発ができると電源三法交付金が貰えるが)その他に貰うお金はお互いに詮索せずにおこう。キミんとこはいくら貰ったんだ、ボクんとこはこれだけ貰ったよ、裏金ですね、裏金!まあ原子力発電所が来る、それなら三法のカネは、三法のカネとして貰うけれども、その他にやはり地域の振興に対しての裏金をよこせ、協力金をよこせ、というのが、それぞれの地域である訳でございます。それをどれだけ貰っているか、を言い出すと、これはもう、あそこはこれだけ貰った、ここはこれだけだ、ということでエキサイトする。そうなると原子力発電所にしろ、電力会社にしろ、対応しきれんだろうから、これはお互いにもう口外せず、自分は自分なりに、ひとつやっていこうじゃないか、というふうなことでございまして、例えば敦賀の場合、敦賀2号機のカネが7年間で42億入ってくる。三法のカネが7年間でそれだけ入ってくる。それに「もんじゅ」がございますと、出力は低いですが、その危険性……、うん、いやまあ、建設費はかかりますので、建設費と比較検討しますと入ってくるカネが60数億円になろうかと思っておるわけでございます…(会場感嘆の声と溜息がもれる)。

 で、実は敦賀に金ケ崎宮というお宮さんがございまして(建ってから)随分と年数が経ちまして、屋根がボトボトと落ちておった。この冬、雪が降ったら、これはもう社殿はもたんわい、と。今年ひとつやってやろうか、と。そう思いまして、まあたいしたカネじゃございませんが、6000万円でしたけれど、もうやっぱり原電、動燃へ、ポッポッと走って行った(会場ドッと笑い)。あっ、わかりました、ということで、すぐカネが出ましてね。それに調子づきまして、今度は北陸一の宮、これもひとつ6億で修復したいと、市長という立場ではなくて、高木孝一個人が奉賛会長になりまして、6億の修復をやろうと。今日はここまで(講演に)来ましたんで、新年会をひとつ、金沢でやって、明日はまた、富山の北電(北陸電力)へ行きましてね、火力発電所を作らせたる、1億円寄付してくれ(ドッと笑い)。これで皆さん、3億円既に出来た。こんなの作るの、わけないなあ、こういうふうに思っとる(再び笑い)。まあそんな訳で短大は建つわ、高校は出来るわ、50億円で運動公園は出来るわね。火葬場はボツボツ私も歳になってきたから、これも今、あのカネで計画しておる、といったようなことで、そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりが出来るんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに(原発を)お薦めしたい。これは(私は)信念を持っとる、信念!

 ……えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50年後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。こいうふうに思っております。どうもありがとうございました。(会場、大拍手)



最後の「片輪云々」に対して、聴衆は(会場、大拍手)と記されている。
敢えて何も批評は加えない。
ただ、原発とは、こういう闇を常に内包しているということだ。
高木孝一敦賀市長は、本当に正直な人なのだろう。
いまどうしているか調べたが、分からなかった。
十年ひと昔だから、三十年前はあまりにも遠い。
分かったことといえば、息子が現在、某党の代議士ということだけだった。

※ この場合の「片輪」は、正しくは「片端」と書きます。


原発先進国フランスやアメリカの協力や、IAEAの助言によっても終息時期が見えず、逆に事態は悪化しているにも関わらず、これといった方策も定められずに漂流を続ける今回の原発事故。
いったい誰が「安全神話」などと言い出したのかは知らないが、広辞苑を引くと「神話」は、


神について語られたものの意。神格を中心とした説話。


とある。
本来は自然界に存在しない危険物質を生み出しながら、その血清である処方を作らない(作れない)愚かさ。
神を信じるのであれば、いまは神のその摂理に背いた報いを受けているということになる。
笑止。


100年経って片輪が生まれてくるやら、50年後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。こいうふうに思っております。


100年後、50年後に子供たちは五体満足で産まれて来てくれるのだろうか。
遺伝子や染色体に異常がなく産まれて来てくれるのだろうか。
この瞬間、我々に出来ることは何だろうか。
3,11以前の暮らしは正しかったのだろうか、それともとてつもなく大きな間違いを犯していたのだろうか。
それを神に問われている。
明確な答えを出すのは、神に対する我々の喫緊の義務だ。

人生の終着点が近づいた私に、セシウムの三十年の半減期などは意味のないことだ。
ただし、未来ある子どもたちはどうにかして守りたい。
原発推進に固執した元敦賀市長の考えは措くとして、これからは私も正直にものを言おう。


以上、日記からの転記でした。

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