こんにゃくえんま 源覚寺


1012年6月16日

十代の頃だったと記憶している。大晦日の夜、後楽園の辺りを歩いていた。当然、まだ東京ドームなどは無く、娯楽に関しては後楽園球場と競輪場、そして遊園地くらいなものだった。遊園地にしろ、まだ不埒な絶叫マシンも存在せず、本当の意味での「遊園地」だった。楽しかったのは「コーヒーカップ」か「ティーカップ」か、正式な名前は知らないが、婦女子が喜んで乗るアトラクションで、これは中心にあるレバーさえ触らなければ回転速度も遅く、そこそこ童心に戻ったような気分で楽しめた。
※ このコースターは諸般の事情で休止中。  
だから以前撮った画像です。

目指す「こんにゃくゑんま」は後楽園からわずかな距離にあり、参道の狭さと短さは今も変わらない。
それだけ伽藍がコンパクトにまとまっているということだ。
世間では「こんにゃくゑんま」の名だけが知られ、肝心の「源覚寺」の名前を知る人はほとんどいない。
阿弥陀如来、両脇侍の勢至、観音菩薩の三尊を本尊とした浄土宗のお寺さんだ。
浄土宗であるからには、江戸時代には幕府から手厚く庇護されていただろうことは想像がつく。

参道横にある「お百度石」は覆屋に納まり、それでもまだお百度を踏む人たちに利用されているのだろう。
こんにゃくえんまの由来から時代が下って、ペリー来航の前年に置かれたようなので、眼病を治した老婆の信仰譚からの発想か。
それでも江戸庶民の信仰の対象になっていたことはわかる。

参道正面の閻魔堂。
阿弥陀三尊の仏様がおわす本堂は、ここでは脇役のようだ。
こんにゃく閻魔が「売り」のお寺さんなので、これは仕方ないことか。
ここはその奥ゆかしさに敬意を払い、尊崇の念を抱いておこう。

大量のこんにゃくが奉納されているのが見える。
お寺では、このこんにゃくをどうするのか気になるところだが、屋外に置かれたこんにゃくの賞味期限はもっと短くなるはず。
気にするのはやめよう。

閻魔堂の扉が少しだけ開いていたが、中を窺うことはちょっと厳しいので、閻魔様のご尊顔、特に右目の確認はできなかった。
「こんにゃくえんま」や「こんにゃく閻魔」でググれば、ざくざく画像が出るだろうから、関心のある方はそちらへ。

宝暦年間というから18世紀半ばのこと、眼病の老婆が自分の好物であるこんにゃくを断ち、三、七、二十一日の間、願掛けに通って快復したという。
閻魔様はその身代わりとなって、以後、右目が濁ったというもの。
これはWikiにも書いてあるし、お寺のHPを見れば、ご住職も同様のことを動画でおっしゃっている。
試しに他もググって、やはりざくざく出て来たブログなどを見ても、まるで同じことを、皆さん何も疑わずにそのまま書いてらっしゃる。

ちょっと疑ってみたいことが2点。
私は昔から、閻魔大王の好物はこんにゃくだと聞かされて来ていて、だから老婆の好物ではなく、閻魔様の好物ということでお供えしたのではないかと考えた。
どこかで話が逆転してしまったのではと、疑問が湧く。

そして三、七、二十一日間の願掛け。
道教や仏教では、閻魔王を含めて十王が存在するといわれている。
たまたま閻魔の名前だけがメジャーになり、他の九王の名前を知る人は皆無に等しいだろう。
もちろん私も十王すべてを知るわけではない。

人が死に、初七日から三回忌まで、それぞれの王が死者の審理を行なう。
これは誰でも知っている。
二十一日目の審理は宋帝王が為すべき役割で、閻魔王が行なうのは五、七、三十五日目のことだ。
閻魔王に願を掛けるならば、三十五日が正しいのではないか。
「老婆よ、もう二週間頑張れ」と言いたくもなるし、現代人ならば創作譚であろうことも知っているから、簡単に納得してしまうのだろう。
ならばこそ、五、七、三十五日目にした方が、もっともらしい整合性も出るというもの。
余談だが、閻魔王は地蔵菩薩の化身である。

十代の大晦日に聞いた除夜の鐘の音は、この鐘だったのか。

毘沙門天。
言わずと知れた多聞天の別称だ。
これは単独の場合で、持国天、増長天、広目天が揃えば四天王の一員となる。
邪鬼(天邪鬼)を踏みつけ、必ず宝棒を握り、宝塔を捧げ持っているので簡単に判別がつく。
同じ「天」でも帝釈天は上司であり、部下には夜叉が居る。
ずいぶんお忙しい仏様で、七福神にも加わっているのは周知のこと。
ここの毘沙門天は小石川七福神の一神でもあり、仏になったり神になったりのオールマイティだ。

狭い境内には閻魔王の化身である地蔵菩薩のお姿もあり、ここ源覚寺では塩にまみれて「塩地蔵尊」と呼ばれて信仰を集めている。
自分の体の悪い部分に塩をかけると効果があるらしい。
さしずめ私などは、頭にかけるべきか。
季節は折しも梅雨、これではカタツムリはもちろん、ナメクジも寄りつかないだろう。
以下の説明文があった。


当山開創寛永元年(1624年)以前よりこの地にあって人々の信仰を集めたと伝えられる。

地蔵尊のお身体に塩を盛ってお参りすることから塩地蔵と称し、その由来には、古来より塩は清めとして用いられることにより、参詣者の身体健康を祈願するものと説かれる。



老眼が進み、何かと不便をかこつここ数年、せめて進行が遅くなりますようにと、地下鉄丸ノ内線後楽園駅から、都営地下鉄三田線春日駅に乗り換える途中の、わずか20分ほどの参詣だった。


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