思い出ベンチ

2008年10月22日の日記から転記。


私は東京でしか知らないが、最近は公園でこのような「思い出ベンチ」をよく見掛けるようになった。


きみの職場に近いこの公園で会った春の日の昼休み、あれから48年。廣子ありがとう。
2006.11.4 次彦



2006年11月、次彦さんから廣子さんへの感謝の気持ちが刻まれている。
左下には、2007.6 とあるから、1年前に設置されたものだ。
おにぎりとお茶を持って、お二人には無断で使わせて頂くことにした。

「あれから48年」とは、48年前の結婚を意味するのか、それともプロポーズを意味するのかがわからない。
いずれにせよ「廣子ありがとう」の廣子さんは、奥さんと考えて間違いないだろう。
他人なら、呼び捨てにはしない。
今年が2008年。
金婚式も終えて、今もご健在なのだろうか。

48年前のほとんどの女性は、高卒で就職をしただろう。
「きみの職場に近い」から、次彦さんは別の会社で働いていたことがわかる。
どこで知り合ったか、それはおそらくこの公園ではないか。
だから48年は、出会いからの年月かも知れない、その可能性もある。
すると結婚は数年後と想像することも出来る。
出会いか、プロポーズか、結婚か、もっとはっきりした文章に改めてくれないかなと思う。

私は物事をひねくれて考えるタチなので、「廣子ありがとう」の奥に積み重ねられたであろう、廣子さんのご苦労に想いを馳せてしまう。
「よくぞ今まで辛抱して、こんな僕について来てくれた」はもちろんだが、
「浮気して迷惑かけた、でも許してくれてありがとう」とか、
「安月給で貧乏させて済まなかった」も考えられるし、
「僕の両親の面倒を、よく看てくれた」もあるだろう。
なにせ、現在から50年以上前のことなのだ。

その年は、1958年、昭和33年である。
東京タワーが完成した年だ。
他にも、ミスター長嶋がデビューした年で、チキンラーメンが発売されたのもこの年ではなかったか。
そろそろ高度成長の兆しが現れ始め、日本は繁栄への道を歩み始める。
そう考えると、おそらく次彦さんは二十代前半だったろう(あくまで推測)から、廣子さんという良き伴侶を得て、企業戦士としてがむしゃらに働き続けたのだろう。

当時、次彦さんが25歳と仮定すると、現在は80歳前だ。
廣子さんともども、次彦さんもご健在なのだろう。
息子や娘も立派に独立して、お孫さんも大勢いるに違いない。
そんなことを考えていると、幸せそうな老夫婦の姿が見えるような気がする。
幸せな人生で良かったですね、そう思うことにして、お二人のベンチをお借りして、コンビニのおにぎりで、侘しい昼食を終えた。

でも次彦さん、あなた、48年の間で浮気の三つや四つはしたでしょう。
かなり、奥さん泣かせたでしょう。
このベンチの文は、懺悔の気持ちから書いたものでしょう。
と、やっかんでみた。

どうぞ、いつまでも健康で穏やかなお二人でありますように。


※ この日記を書いたのが14年前。
現在どうされていらっしゃるのでしょうか。

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