冤罪4-4 組織の面子は人命に優先するんだよ by 検察
2014年3月27日の日記より。
権威を維持するには、たとえ白でも黒と言わなければならない。
警察がオイコラで取り調べ、証拠を捏造したとしてもである。
なぜなら我々検察は、いつも警察とツルんでいるからだ。
だからこそ、静岡地裁が袴田死刑囚に対して再審開始と、死刑及び拘置の執行停止を決定したにも関わらず、即時抗告をした理由はそこにある。
2008年、国連自由権規約委員会は日本に対し「被疑者は自分の事件と関連するすべての警察記録の開示を受ける権利がある」と勧告したが、そんなものは内政干渉ならぬ内法干渉であるから、断固無視をしてきた。
福岡県飯塚市で発生した飯塚事件では、すでに死刑を執行してしまった後だから、新証拠を持ち出して再審請求などされては法の秩序を維持出来ぬし、事実よりも面目に重きを置くスタンスに必ず禍根を残す。
それゆえ、死刑を執行したのは、検察が足利事件でDNA型の再鑑定実施を認める意見書を出した直後だった訳だ。
仮に再審が認められ、それによって無罪が確定してしまっては、幻想の錦の御旗に傷が付くし、この面子を守るためには、事実を永遠の闇の中に葬ってしまわなければならない。
それが権威を死守しなければならない我々検察本来の使命なのだから。
足利事件では、冤罪で身柄を拘束してしまった補償金として、国の税金から約八千万円もの大金を菅家さんに支払ってしまった。
菅家さんを拘束したのは17年半もの長期だったから仕方ないにしても、袴田さんの場合は、菅家さんと違って死刑囚として48年間も拘禁していたので、その補償金も莫大な金額になる。
このままでは、被告にとって確実に無罪となる証拠を、警察とともに隠蔽することも不可能になりかねない危険性がある。
今回の袴田事件でも、検察に有利な証拠しか開示しなかった。
それが開示請求なる、いまいましい制度のために、無罪という事実が判明してしまった。
郵政不正冤罪事件の村木厚子さんには二百万円の補償金だけでなく、損害賠償請求の訴訟に対する賠償金も加えて四千万円もの税金を支出してしまったのは遺憾の極みである。
それよりも怖いのは、検察と国民との乖離である。
だから、無罪→やってない→可哀想という、はなはだ情緒的な日本人の特性が世論として社会に蔓延することは仕方ないにしても、その情緒を逆手にとっての即時抗告を即決した。
なにしろ、日本国民は権威に弱く、無条件にひれ伏すことを、我々は一番よく知っているからだ。
今回は無実の根拠となる証拠をすべて開示させられ、図らずも冤罪であることが発覚してしまったが、取り調べの完全可視化実現も、のらりくらりと逃れている最中である。
国民の大半が情緒に流され、冤罪の不条理ばかり喧伝してくれるお陰で、真犯人を逃したことを、メディアも含めて誰も追求しないことは幸運であった。
すでに時効が成立しているといっても、願わくば真犯人よ、検察と警察の幻想の権威を護るためにも、頼むから名乗り出ないでくれ。
これ以上のアイロニーは度が過ぎるので、ここで終了!
検察側に立っての代弁は吐き気を催すほど不快だった。
冤罪に関して、本当は「名張毒ぶどう酒事件」に一番怒り心頭だったのだが、また機会があれば…。
遡れば帝銀事件もだね。