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嫌だを大事にする

この言葉を自分に向けてみたらなぜか、なんでか、、泣いてしまう。


最近、「自分を満たす、自分を大事にする」の体感を深め中なのだけど、そこに反して下のような固定概念が自分の中にあることに気づいた。

昔から、
・我慢強いのは良いこと
・忍耐力があるのは良いこと
・不平不満を言うべきでない
・嫌だと感じても捉え方次第
・嫌でもやった先に成長があるからやるべき
・嫌でも人のためになるならやるべき
・自分の気持ちより他者の喜びを優先すべき、それが良い人
・感情に左右されないのが大人

という価値観を周りの大人から勝手に感じて、そうなんだ、そういうものなんだと思っていた。


・・・いつからだろう、ずっと思考の中にあり、自分に対して過度に作用する価値観。


確かに、最初は嫌だったけどやってみたら案外嫌じゃなかったということもいろいろあった。だから自分の嫌という気持ちをあまり優先させない方が周りも自分も良いのかなと思ってた。(後に、これはホメオスタシスが怖いとか面倒臭いとかで変化することを妨げていたことだったと理解した。)

でも、結局自分の「嫌」にふたをし続けたらどこかで爆発してしまう。それが怖いから、嫌だとか不快からくる怒りや悲しみを感じたくなくて、どんどん意識的に鈍感になっていっていった。嫌だけど、悲しいけど感じてないふり〜と。


自分の嫌を優先させるのは、わがままだと思っていた。
大人なんだから、わがまま言ってはいけないと思っていた。


嫌だを大事にすることは、
我慢弱くなる。
でも自分に優しくなる、自分に優しくなるから心が喜んでいて涙が出る。
感覚と感情がもっと豊かになる。


自分に優しくあることで人にも優しくありたい。



いきなりガラリとはできないかもしれないけど、自分の「嫌だ」を認め尊重してあげる心がけをしてみようと思う。

自分の嫌だを大事にするからと言って、人にその感情をそのままぶつけるわけではない。人に伝える必要があるなら伝え方や方法は別にある。伝えることも相手への信頼の表れだとも思う。


自分の中で「嫌」の感情が湧いたら、ないものとしない、ちゃんと存在を認めて声を聞いてあげよう。
心から健やかな人になるぞ〜〜〜〜!!!


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