昨日の記事の振り返り−追記あり−
改めて自分で読んでみて、身体的なコンプレックスは、書きはしたけれど、他に比べればそんなに気にしていないことが分かった。
繰り返し出てくるのが、
・自分の無知を隠そうとしてしまう、自分をちゃんとした人だと大きく見せたくなる。
・知ってるふりをする時がある
・気を付けないと、年下(未成年)に上から目線で話しそうになる。自分がされたら発狂するくせに。
という、自分の知識や教養の無さへのコンプレックスが強く、最悪なのはそれを隠そうとして誤魔化すことまでしているということ。
要は↓
・実はエゴが大きいのに、言う程大して行動しない。口先ばかり。行動する事、他人と対峙する事、失敗する事が極端に怖い。
自分でわかっているのだ。
何とかしたい。
他人と比べてどうか。というより、自分はもっと出来るはずだ系の精神に陥っている気がする。凡人が天才に見られたい系。1番なさけないやつ。
我が家は失敗の許されない家だった。
失敗するくらいなら、レベルを下げて出来ることをやる方を選べと言われた。行きたい高校も行きたい大学も受けさせても貰えなかった。安全圏にしなさいと。
もしくは弱点を克服するために、苦手なことを、傷に塩を塗るようにやらされた。
やりたいと思ったことで、唯一やらせてもらえたことは、小さな英会話教室にかようこと。ハーフの子供たちに混ざって遊びながら日常会話を習った。とても楽しかったけれど、学校の勉強(文法)などはあまり身につかないと知った親は、1年でやめさせた。
だから最近まで、私の中では学校システム・社会システムにおいて意味のないものは(楽しい事)は他の苦手な事が良くできるようになってから、ようやく手にできる物で、何より先ずは
①弱点を克服する。
②(弱点を克服する事で)失敗しない安全圏を広げる
バランスよく安全圏が広がったら、将来の選択肢も増えると親は考えたのかもしれない。
だから私は『失敗』の経験も、やりたいことをやった経験も乏しいのかもしれない…
何より感じるのは失敗への恐怖と恥の感情だ。
初めての自転車の練習の時でさえ、失敗すると両親に笑われからかわれ、隣の〇〇ちゃんと比べられた。失敗は恥ずかしいもので、〇〇ちゃんより私は…
ナゼ自分はすぐに出来ないのか。その後乗れるようになっても全然嬉しくなかった。既に負け犬の気持ちだったから。
多くの親がやりがちな事かもしれない。
私の脳が敏感すぎただけかも知れない。
受験に関してはお金の問題もあってだと、子供ながらに納得した。仕方無かった。でも
笑われたこと、いつも比べられたこと。これらは無くても良かった。
これからは、自分の内面と戦わなくてはならない。やってみたいこと、ぁっと少しでも心が動いたものには挑戦してみること。失敗をたくさんしなければならない。そしてそれを晒してみる、そして
「コレが私。楽しかったから良いの」
と思える自分になりたい。
隠したり、出来るふりをしたりもうしなくていい。
HSPで嘘や不条理に強い怒りを覚えるのに、
自分は、自分を大きく見せてok。誰にでも矛盾はあるし、それでいいと思うけど…
変わりたい。変われたら良い人になれるとかじゃなく、楽になれると思うから。
書いてて何とも情けない気持ち。
こんな事は20代で卒業していたかった。
というわけで。春です。
追記
notoは始めから本音を晒すつもりで書いているので、自分を大きく見せようと言う意図はありません。詳しくは次の記事で。