追えば逃げ、行けば来る
何者かになりたかった
それは今も無くなりはしないのだが、
かつては心の大きな部分を占めていた。
80年代後半、落語を演りカクテルを作る毎日を過ごしながら「何者」が飲食店経営者なのかもと思い始めていたフシがある。
今は亡き勤務先のオーナーは、2店舗目、3店舗目と順調に店舗を増やし、特に門司港に作った店は評判がよかった。まだ港に艀があり未開発で情緒がある時代に古いビルの一階、海運会社の事務所跡を手作りでカフェにした。
元々、そのビルの2階に空きがあり、そこに出店しようとビルオーナーに掛け合ったところ、「君がやるなら我々の事務所を2階に移動するから1階でやりなさい」という経緯でできた店。
床を剥いで天井を塗って、、店を作る初めての経験になった。
前の勤務先でカウンターに立つことの尊さを叩き込まれた私としては(常連さんに「お前はいらない」と平然と言われたりしていた)新しく作るということが何かを成し遂げるようで、何者かになる影をやはり追っていたのだろう。
帰省すると実家の食器棚を覗き、使えるものがないか確認した。
評判の店に行けば内装、調度、食器、動線、席数、回転率、単価、従業員数、、そんなところばかり見ていた。(結果として今の仕事、開業支援につながっている、データベースが脳内にできていて不安要素が違和感としてすぐ目につく)
「やってもないのに馬鹿にするんじゃねえ」
こんなニュアンスのことを言われたのは、卒業後は自分の店を出そうと会社員を見下したような態度と言動をしていた頃。
羨望に近い目で見ていた社長からの一言は効いた。
4年性の夏、就活も終盤に入っていた。
「この中から一人採用するか二人採用か、もしかしたら採らないかもしれない」50人ほどの説明会の冒頭で私は俄然ここに入りたいと思った。
(そもそも入りたい会社もなかったし、というか興味がわかなかった)
運よく(たまたま)社会人生活が始まり、何者かになる夢は少し置いておくこととなる。
そして20年後、起業し面白い人生になっていくのだけど、それだけの時間をかけるのが私の運命だったのだろうと感じている。
何者かになりたいと直線的に進むのではなく、目の前のことをやるしかなかった人生を自分なりに追いかけていたら、不思議と道が開けた(これまたやるしかなかったのだが)そんな我が人生。
追うんじゃないんだなあ、来るって感じ。
昨夜も「まち」に関わる人たちと語らった。
目標というものは無視することはできないのだけど、ここ数十年の資本主義的思考の中での競争に勝つ論理として染み付いてきたものだと感じる。
「3年で10店舗出そう」そんな目標を掲げていた子供の年齢より歳下の飲食店経営者、「なんだか違う気がしてきたんですよねえ」
そうなのよ、僕らが生きるこの国は、それとは違うなにものかに覆われていて一神教的規範と異質なんだ。
最近では「計画された偶発性理論」が見直されているようだし、ジョブズやウォシャウスキー兄弟も東洋思想に影響を受けている。
サスティナブルなんて江戸の世ではそれこそが当たり前だった。
いつかはそうなる
それを信じて生きていくと
ついてくる
最近心穏やかに生きることができるようになった。