謎多き異端「ボスニア教会」と ステチュツィ
こんにちは!Zdravo. Kako si?
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボからです。
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ボスニア教会とは
ボスニア教会Bosnian Churchは、12世紀から15世紀にかけて存在したと唱える研究者が多いBiH(ボスニア・ヘルツェゴビナ)周辺において存在したキリスト教の一派です。ボスニア教会は正教会やカトリック教会とは異なり独自の信仰体系を持ちボスニア語(スラブ語とも言われています)による礼拝を行っていました。一般的なキリスト教の教義に反して聖像崇拝を否定し、霊的な実践や人道的な教えを強調していたとの事です。
ボスニア教会は当時のボスニア王国において重要な役割を果たし政治的な影響力を持っていました。またボスニア教会は当時から多文化・多民族の当地域において異なる民族や宗教間の対話や交流を促進する役割を果たしていたと考えられています。
しかし15世紀になるとボスニア教会はオスマン帝国による支配下に置かれ、弾圧を受けることとなります。そのためボスニア教会は次第に衰退し17世紀には消滅したと考えられています。
現在ボスニア教会の遺産や歴史的な価値が再評価されつつありBiHにおいては教会に関する研究や文化財の保護が進められているようなので、今後調べた結果をお届けしたいと思います。
ボスニア教会の研究は信者などによる内部資料が乏しく外部資料を基に行われているようですがBiH周辺地域で中世に作られたステチュツィStećciと呼ばれる墓碑はボスニア教会によるものとされていて国立博物館などで見ることができます。
The National Museum of BiH
BiH国立博物館は1888年2月1日に設立されましたが、現在の館の建設は1909年に始まり1913年に完成しました。しかし内戦で大損傷を受け、現在に至るまでUNESCOや多くの国、博物館の支援で再建されました。労働問題で閉鎖が続いていましたが2015年から開館しています。
サラエボ・ハッガーダーСарајевска хагада(Sarajevo Haggadah)
この国立博物館の特筆すべきコレクションはユダヤ教文書をムスリムが守ったという困難な逸話を持つハッガーダーהַגָּדָהです。
展示一部ご紹介
ステチュツィ Stećci
中世ボスニア王国の領域に散在する巨大な墓碑です。2016年にUNESCOの世界遺産リストに正式登録されています。
11世紀から作られ14~15世紀にピークを迎えました。当時異端とされていたボスニア教会に属していたとされています。
墓碑に施された装飾の意味は今日でも謎が秘められています。
BiHでは6万基が発見されている他に、モンテネグロ、セルビア、クロアチアなどでも発見されています。UNESCOには33基が登録されました。
今後もBiHに住んでいる間は「ボスニア教会とステチュツィ」について調査noteでご報告をしたいと考えています。
お食事🍚情報
Restoran Tavola
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