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親でない人をひきとった話。 第1話

前書き

この記事をお読みいただいている皆様は親ではない方と同居生活をされたことがありますでしょうか?
1999年5月8日に亡くなった私の母にはタカコさんという親子ぐらい歳の離れた姉がいました。
姉といっても複雑な関係だったようです。
両親(私から見て祖父母)が連れ子の再婚同士で、祖父の連れ子が3人、祖母の連れ子はタカコさん。
私の母は祖父母の間の長女として現在の和歌山県串本町に生まれました。
私が幼い頃、タカコさんは夫のヒサオさんと2人で大阪の西中島南方の線路沿いに暮らしていて、毎年、お盆と年末年始は我が家で過ごしていました。
私は3人姉妹の長女でしたので下の妹が小さい頃、年末年始にタカコさんの自宅に預けられることもあり、子供がいなかったので私たちは本当に良くしていただきました。
宝塚にあった遊園地、宝塚ファミリーランド、だったでしょうか?
エキスポランド、天王寺動物園、ひらかたパーク‥‥
私の両親に連れて行ってもえないようなところに連れて行っていただきました。
2020年1月、日本国内でコロナウイルスに恐怖を抱き始めた頃、ヒサオさんが亡くなり、2021年3月、身寄りのないタカコさんを我が家で引き取ることになり、そこから私の生活が一変しました。
6月上旬に施設に入所させ、下旬に救急搬送先で2ヶ月半ほど入院を余儀なくされます。
私はずっとタカコさんは祖母の娘だと思っていて、私の母もそう思っていたのかもしれませんが、2021年9月に転院先の病院に転院した直後、あるきっかけからタカコさんは祖母とも血が繋がっていないことが発覚します。
その数日後の2021年9月30日朝7時、主治医の先生からタカコさんが亡くなったとの連絡が入り、事態は思わぬ方向に向かっていく事になります。
タカコさんが大阪でお世話になった方に連絡させていただいた中で、私が知らされていなかった、とんでもない事実をつきつけられ、途方に暮れます。
タカコさんの生前も介護事業所や入所施設の人を恨みましたし、喧嘩もしました。
とにかく誰を頼ればいいのか分からず毎日インターネットで検索ばかりしていました。
障害となったのは、タカコさんが親でも祖母でもないということと、私の母と血が繋がっていないこと。
悪く言えば全くのアカの他人のようなものでしょう。
いくら検索しようが親や親戚の介護の記事ばかり。
アカの他人の高齢者との同居や介護の記事なんて出てきません。
そして極め付けの障害は本人がヒサオさんと再婚する前の旦那さんとの間に娘さんがいることを周囲に意地でも隠し通そうとしていたことでした。
周囲の人には、子供はいないから私たちに3人にお金を残したいと言っていたらしいのです。
亡くなる3日ほど前だったと思います。
病院に電話し、寝たきりになっているタカコさんに看護師さんを通じ伝言をお願いしたことがありました。
法律上私ができることはこれ以上ないから裁判所等に手続きをさせてほしいと。
返事は、お願いします、お世話になりました、とのことでした。
これが最後の会話のようなものでした。
正直、亡くなった連絡をいただいた時、なんで今なん‥‥?と腹が立ち、涙も出ませんでした。
市の関連機関に相談させていただき、娘さんを探すなどしてくださる方向に決まりかけていたのですが、本人から何も聞き出せないとなると本当に分からない事だらけ。
墓まで持っていく、なんて言葉がありますが、まさにこの事だと思いました。
家も汚され、リフォームを余儀なくされ、本当に恨みました。
子供の頃のアルバムを引っ張り出し、タカコさんが写っている写真は全て捨てました。
職場には私が疲れ切っているのをみて笑っている同僚がいました。
何が面白かったのかいまだに分かりませんが、その同僚も恨みました。
でもこういうネガティブなことって結局何も生まないんですよね。
今、身寄りのない高齢者が増えていると言われています。
言い方が悪いのは承知の上なのですが、私のように独身持ち家なら、無知をいいことに介護事業所にうまいこと乗せられ、無理にでも引き取らなければいけなくなる人が増えてくるのではないか?
(後に無知だけでなく私の職業が誤って伝わっていたことも理由の一つと判明します)
子供でもないのにそれ以上のことを求められて、でも子供ではないから諸々手続きできないことも多く、状況によっては不審者のように扱われることもありました。
仕事についていれば職場に迷惑もかけられませんが、何度かダウンしました。
ただただ辛い思いをする人が増えるのではないか?と思うようになりました。
入所施設によるのかもしれませんが、私の場合は施設の人の提案が思い込みなのか、どこまで信用していいのか分からなかったりして、一度自分で調べてみたら間違ってい場合はできませんとキッパリ言うようにしていましたので、施設の方との関係は悪化する一方でした。
施設がこうだと、ますますどこに相談したらいいかわからないことだらけで、とにかくいろんなところを点々とし,仕事が休みの日もゆっくり休めることはほぼありませんでした。
私が経験したこと、やったことは正解ばかりではないと思いますが、私の時はこうだった、などと発信するだけで、たとえ多くはなくても同じような辛い思いをしてる人を助けられるヒントになれたら、と思うようになりました。
3年の月日が流れ、最近になってようやくこの経験に感謝の気持ちも芽生えてきました。
発信することで私の語彙力のなさより関わってくださった一部の方への批判や攻撃、誹謗中傷と捉えられてしまうこともあるかもしれませんが、発する言葉に責任を持った上で言葉を選び、伝えたい方に向けて発信するというスタンスでやっていきたいと思います。
そして、介護に関わっていらっしゃる方がお読みくださっていれば、もし、このように身寄りのない方がいらっしゃれば、本人や身元引受人にどのように接していらっしゃるのか等教えていただけませんでしょうか?
提供いただいた情報により、私もなぜこのようになってしまったのか理解し、納得できることも増えるかと思いますし、投稿も少しずつバージョンアップさせていけたらと思っております。

最後までお読みいただきまして誠にありがとうございました。
これはあくまでも私の体験談です。
この体験がどなたかのお悩みのヒントにでもなれば幸いです。
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※こちらで投稿するに至り、かなり参考になった書籍を紹介させていただきます。
初心者にも分かりやすく基本操作や、今の時代にあった投稿の仕方を解説されています。


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