言葉を重くしているのはアナタであってそれを書いた誰かではない、アナタを苦しめてるのはあなた自身だことに気づいたほうがいい
表題にこんなに書くともう追加するものはありませんわねえ。 難しい言い回しもしていないし。
とはいえ 「もっとみる」 がないとクリックしてもらえませんし、少しだけ蛇足を。 ww
とかく若いうち、あー、ハタチ前後とか或いは早い仔なら中学生くらいとかでも巷に溢れる定義原理はチカラの基、みたいなものに誰しも取り憑かれるものです、わねえ。
とても尤もらしいソレは詐欺のレトリックと双璧というか向きが少し違うだけで同じものというか、そういうふうに人を動かしてしまうチカラを持っています。
聞いた次の瞬間に 「 ホントかよ ? 」 と踏みとどまり反証を構築できるように或いは冷静に確率を付けることができるように、なれば惑うこともなくなりますがそんなに簡単なら誰も悩みませんわねえ。
私の場合は 17 でプロの技術屋になると決めた次の瞬間から弁別ということを徹底するように訓練づけてきましたから " 踏みとどまって確率を付ける " という行為は最初の会社に入ったころには日常になっていました。
でもそれは文字になったものや講演や講義のような返事を返さなくてもいい場合の話であって、対面の会話の速度だと追いつけずに失敗(後悔)したことは一度や二度ではありません。
またそれとは別に、世の中には 「 言葉の重さ 」 なるものが存在してそれは絶対であるという観念が必要以上に蔓延っており、その重圧から逃れられたのは、… んー、35 も過ぎたころでしょうか。
もちろん場合によっては絶対だこともあるわけですが、それを付けたり外したりすることができるようになってだいぶ楽になりました、振り返れば。
まあ、紆余曲折の末。 ww
幸か不幸か今では信条も信念も方針も矜持も水のように不定形で強靭な運用ができるようになりました。
視点に因ってはそれは " 自分勝手 " と呼びます、が。 ww
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二伸
未だ抽象度が高過ぎる気がします。 後日書き直すかも。
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