だれでも仏さまをもっている。
なんだか変なタイトルだとおもったかもしれませんね。
もっている、なんて言い方も仏様に失礼な!と感じた方もいるかもしれません。
ここに書くことは私の直感でしか書かないので書こうと思って書くというよりは感じたままにしか書けません。ただ、少しでも気持ちのいい毎日になるようにという思いで書いています。
さて、本題ですが、去年父が亡くなり、火葬の際にお骨を骨壷に納めていた時です。案内の方がこの部分は喉仏です。見てください、仏様のように手を合わせているように見えるでしょう?だから喉仏という名前なんです。納めたお骨の一番上にのせて蓋をしめました。
この喉仏、仏さまが誰の喉にもいらっしゃる。なんて素晴らしいことだと思いました✨私は喉仏という位置が口から入って喉を通過し、体を周り、体から喉を通過し、口から出る。全ての通過する場所にいるのは、口から入るもの出るものを浄化する為にいるのではないか、と思いました。
お釈迦さまは菩提樹の下で8箇条を悟りました。その中のうち、正しいものの見方、正しい考え、正しい言葉、正しい行い、正しい生活 とあります。自分で自分を正しく真っ直ぐに一度させる為に存在しているのではないかと考えました。私の勝手な解釈ですが、どこから自分に向かって飛んできても自分でキチンとそのものを正しく見る事が誰でもできるのだと感じました。
一度喉仏の骨を見てみてください。とても不思議な形です。