ウンベルト・エーコ「ジョゼフ・ド・メーストルの言語学」(『セレンディピティ:言語と風狂』より)
【原典:Umberto Eco, "The Linguistics of Joseph de Maistre" (in Serendipities: Language and Lunacy, 1998)】
【ジョゼフ・ド・メーストル畢生の大著『サンクトペテルブルク夜話』は、鼎談形式ということもあってあちこちに話題が飛びますが、重要な主題のひとつに、とりわけ「第二の鼎談」で余談めかして展開される、言語についての考察があります。それに着目したのが、このエーコの論文です。なおメーストルの引用は重訳を避けるためフランス語の原典から訳しました。()は原文にあるもの、〔〕は訳註、太字は原文にある強調です】
完全言語の探究という数百年単位の物語、その中心に置かれるべき章は、ひとそろいの母体言語あるいは根源的な母語の再発見だろう。何世紀にも亘って母語たる地位を最も主張してきたのはヘブライ語である。のちに他の候補(たとえば中国語)も舞台に上るが、結局そうした探究は理想主義的な情熱も神秘主義的な緊張も失ってしまう、言語学の誕生とともにインド=ヨーロッパ仮説が登場したからだ。とはいえ、原初の言語という概念は、(バベルの混乱より前の全人類的な言葉を再発見するという)歴史的意義だけでなく、意味論においても実効性を持っていた。実際、原初の言語は、言葉と物との間に自然な関係を取り結ばせたはずだ。また原初の言語は啓示的価値を持ってもいた、なぜなら話者は話しながら名指された現実の本質を理解したであろうからだ。
このような向き、ジュネットに曰く「模倣主義」(ジェラール・ジュネット『模倣論』〔Gérard Genette, Mimologiques〕)は、西洋の伝統のうちに由緒ある系譜を持ち、その嚆矢がプラトン『クラテュロス』である。そうした考え方は、先立つ2世紀のあいだに「エピクロス的」な多元発生説と呼ばれる仮説によって反駁され、ロジエッロのいう「啓蒙された言語学」(ルイージ・ロジエッロ『啓蒙思想の言語学』〔Luigi Rosiello, Linguistica illuminista〕)によって危機に陥った。ただ、危機はあくまで哲学や言語学の公的な(つまり勝ったほうの)文化水準において起こったことで、多くの神秘主義や哲学の潮流のうちにはそうした考え方が残ったのであり、今日においてさえ、すでに19世紀フランスで言語狂と呼び習わされはじめていたようなひとたちの著作で再び姿を見せている。
単一起源説のうち神秘主義的なものが、(たとえばルイ=クロード・ド・サン=マルタン『ものの精神について』のような)18世紀後期の神智学的な雰囲気の中で、またド・ボナルド(『哲学的探究〔Recherches philosophiques〕』)やラムネー(『宗教に対する無関心についての試論〔Essai sur l'indifférence en matière de religion〕』)のようなフランス・カトリックの正統王党派の中で、どのように生き延びたのか、わたしはアンドリュー・ホワイトからいくつかの示唆を受けた(アンドリュー・D・ホワイト『キリスト教国における科学と神学との戦いの歴史』〔Andrew D. White, A History of the Warfare of Science with Theology in Christendom〕)。ホワイトはまたジョゼフ・ド・メーストルも引用していた、魅力的な手掛かりである、なぜならメーストルは、古典的な正統王党派の主題(その創始者と考えてよいだろう)と、当初メーストルが加入していたスコティッシュ・メイソンやテンプル・メイソンの集まり〔どちらもフリーメイソンの上位階級〕のうちに漂う神智主義の主題との融合を代表しているからだ、もっとも宗教的正統主義(イルミナティのいかなる派閥にも反対して教会と教皇の権威を主張した)のためにメイソンからは離脱したのだが。
この点についての論争で、ラッファエーレ・シモーネ〔Raffaele Simone〕は、完全言語の探求の多くが一種の神経症的な不安から来ているのではないかと述べた、というのは、ひとびとは言葉のうちに世界を動かす仕組の表出を見つけようとしては絶えず失望してきたからだ。なるほどもっともである。正統王党派のしきたりにおいて、言語の聖性を主張するのは、原初の言語を再構成するためというよりむしろ、われわれの諸々の自然言語の足跡を再発見するためである。目指すところは何よりもまず、エピクロス的な多元発生説を採るあらゆる仮説の唯物論的主張に異議を唱え、すべての慣例主義的な理論を他ならぬ真理の源泉から言語を切り離すものとして退けることにある。
言語と物の本質との関係を示すのは(とりわけ言語の複数性からして)言語学には困難であるから、単一起源説を唱える者たちは、セビリアのイシドールスをはじめとする過去の空想的な語源学者たちと大差ない方法を採る。そうした語源説明の多くが、ある種の現代思想(たとえばハイデガー)においても再び登場しているという事実は、この夢想のしぶとさ、あるいは「存在」と何かしらつながりを持ちたいという抑えがたい欲求を表わしているにすぎない。
メーストルが諸言語の性質について長々と語った著書『サンクトペテルブルク夜話』を見てみれば、その主要な主張は、「近代の」「啓蒙された」「科学的な」世俗化された文化の堕落した学問に対抗し、あらゆる知識の源泉として伝統に立ち戻るような書き手たちが今日でも言っているようなことを、再び述べているにすぎないと分かる。
しかし、この理論の証明を期待したまさにそのとき、読者はいつも一貫性を欠いた循環論法に出くわすこととなる。メーストルは、背教者ユリアヌスがある演説で太陽を「七つの光の神」と呼んでいたことに言及し、皇帝がどこでそうした奇妙な形容を見つけたのかと訝しんでいる。答えはこうだ、この発想はユリアヌスが神働術的な転生によって立ち戻った古代アジアの伝承から来たに違いない、と。たとえばメーストルは、クリシュナの到来を祝うために7人の乙女が集まっていたとき、突然クリシュナが現われ、乙女たちを踊りに誘ったと語る「インドの聖典」を引用している。踊りの相手が足りないと乙女たちが言うと、クリシュナは7人に分身し、それぞれの乙女が自分のクリシュナを持てるようにした。
ユリアヌスによる描写の選択は全く奇妙なものでない、七つ組や七という数の神秘性は多くの古代文明に見いだせるのであって、インド由来であれ他の何であれユリアヌスが取り込むことはできただろうからだ。だが、おかしな思考の分裂を示しているのは、メーストルがユリアヌスに言及したのちにも長々と続く例の羅列である。まず、世界の「真の」体系は、天文学的基準にしたがって厳格に方向づけられているエジプトのピラミッドが示すように、はるか太古の昔から知られていた、という。次に、この事実の証拠か結果として、30世紀も褪せない色を作り、いかなる力学的法則にも反して巨石を600フィートの高さまで持ち上げ、あらゆる既知の種の鳥を御影石に彫ることのできたエジプト人のような民族は、他の技術すべてにおいても卓越していたに違いなく、したがってわれわれの知らないことを知っていたはずだ。最後に、アジアについては、まだ大洪水の乾きやらぬ地に建てられたニムルド〔古代アッシリアの遺跡〕の壁に彫られた古代の天文学的考察を考えてみよ。結論に注目してほしい、これらのことはことごとく疑問を抱かせるのだ、「この野蛮で無知と言われている時代は、どこに位置づければよいのでしょう?」
七つの光の隠喩とピラミッドとの間に直接的なつながりがあると考えるならば、さまざまな神話や元型が天文現象を説明しようと試み、数学記号で記述されたガリレオ以前の世界解釈を提供してきたという事実のうちに見出すしかない。ただ、そうした潮流の存在を確かめるには、プラトンの『ティマイオス』でも充分だろう。あるいは、もっと古い概念がアフリカやアジアの文化に流布していたことを知っていれば、ユリアヌスが伝承に従った理由を説明できる。しかし、伝承を引継いだにせよ蘇らせたにせよ、ユリアヌスが伝承の直接かつ正統の後継者であるとか、伝承が何らかの真理を語っているとかいうことの証明にはならない。
だが、そうした推論はメーストルに影響を与えた他ならぬメイソンの伝統に典型的なものだった。ひとつの結社がテンプル騎士団の伝統に立ち戻ろうと決めたという事実が、直系の証となったのだ。
この推論に言語学的・語源学的発見などなく、「北方の窮屈な服を着て、偽の巻毛で頭を覆い、本や道具をあれこれ手に抱え、夜更かしと仕事で青白い顔をし、インクで汚れ、息も絶え絶えに、いつも俯いて、小難しいことで額に皺を寄せながら、真理への道を歩む」病んだ近代文明に対する偏見めいた抗弁でしかないことは明らかである。われわれの近代文明に比べれば、原初の知識は明らかな優位性を見せている。
その卓越性の証拠は、実験に基づく予測が全て想像しうる最悪の間違いであるのに対し、伝統的な学問は近代科学に課される要件を免除されていた、という事実にあるのだろう。こうして、近代文明は古代文明より劣ることを証明せよ、という論題が、証拠として再主張されているのが見て取れる。
この箇所では、黄金時代についてのギリシャ神話が、完全で明快な学問という状態が原初の文明にしか存在しなかったことの証拠として提示されている。こうして、革命の罪について文学的に見れば実に美しい書物を記した人物は、ジャコバン党員の行動、それによって言葉が元の樹から離れてしまった行動のうちにある、あらゆる堕落の(あまりに遠すぎてもはや歴史の中に位置づけられなくなっている)根源を再発見するのだ。
したがって、原ヘブライ語の探求者たちは、過ぎ去りしエデン(その年代記を作るために、いかに空想めいた年代記であれ、いっそう努力を要した)のほかに起源を辿りようがなかったとしても、原ヘブライ語の文法を再構成するのを躊躇いはしなかった。エジプトのヒエログリフを解読したりアルファベットの成り立ちを研究したりしているキルヒャー神父のような人物と比べると、メーストルの努力は確かに子供っぽい。「不思議なのは、ある世代がBAと言っていたのに、別の世代はBEと言った、ということです。アッシリア人は主格を発明し、メディア人は属格を発明しました」これはどちらかといえば、諸言語の唯一神聖なる起源ではなく、諸言語のゆるやかな発展の証拠そのものだろう。メーストルは、どうして古代人の諸言語の中に古代人が持ちえなかった知識の表われを見いだせるのかと自問している。もちろん、正しい設問は「どうして」ではなく「はたして」だろう。実際、メーストルが続けて挙げるのは、思いもよらない知識ではなく、古代人にも近代人にも共通する、詩人は人間の経験の基本的な諸現象を名づける巧みな隠喩を見つけることができるという事実の証拠なのだ。
ここで証明されるのは、どの時代にも非凡かつ明晰な方法で物事を名づけられる詩人がいるということだけだ。つまり、ヴィーコによって提起された言語の隠喩的な起源についての命題、言語に表われているのは古代人の持っていたらしい秘密の知識ではなく、むしろ古代人の清新な知覚なのだという見解を、簡略化された形で繰り返しているにすぎない。実際に大地の恵みで生活していた農耕民族が、大地を「生を与える」と呼ぶのに、深遠な学問が必要とは思えない。
メーストルは強靭な思想家であり、歴史に基づく批判的な判断もできた(スコティッシュ・メイソンのテンプル騎士団神話に対する異議申し立てを見ればよい)。それに、ベーコンからウィルキンスまで、さらにそれ以降の、先験的な哲学言語を作ろうという試みについて、知らなかったわけでもない。先立つ2世紀のあいだに提起された人工言語の発明についても知っており、常識的にいって自然言語のほうがもっと柔軟にわれわれの経験を扱えそうだと反論できただろう。ところが、(そのように表明されていたらひどく「啓蒙的」だったであろう)この立場は、メーストルの議論の中で著しく形を変える。自然言語の機敏さを示すため、メーストルは18世紀に生まれた別の概念、言語の「才能」という考え方に頼らざるをえない。だが才能という概念は、多元発生的な、あるいは少なくとも自律的な発展という概念を惹起し、これはいかなる単一起源説とも相容れない。こうしてメーストルは荒っぽい偽推理に嵌ってゆく。
才能という概念は、言語の形成過程の外から来る何かしら秘密めいた霊気注入によって言語が作られると考えるのでなければ、慣習を排するものではない。メーストルは何かしら語形論的な性質としてギリシャ語とラテン語に固有の「才能」を特定しようと意を固めているが、その方法を受け入れるには、分析の正確さにこだわってはいられない。そのため、ギリシャ語ではふたつの部分が合わさって別の意味を生じさせるような合成語において各部分の意味が分からなくなることはないのに対し、ラテン語では単語を断片にまで粉砕しがちで、何だか分からぬ特別な膠着によって選ばれて組み合わされた断片が、訓練された目でなければ元の要素を認識できないような、驚くべき美しさの新語を生むのだ、と述べている。これが証拠だ。
この一節はふたつの矛盾を露呈している。第一に、ふたつの言語が異なる語形論的規則によって発展してきたという事実は、(すでに述べたように)どちらかといえば単一起源説に反する主張である。第二に、メーストルはイシドールスから独特の引用をして、語源のカードゲームをしようとしている。だが、少なくとも17世紀の単一起源論者たちの語源学は、各言語の語彙が唯一の起源であるヘブライ語(この場合、意味される物とのあいだに想定される「類像的」あるいは有契的な関係を有する唯一のもの)からどのように発展してきたかを示すことに要点があった。ここでは逆に、ゲームの要点は、各言語の内部で、それぞれ異なった機構によって、単純な構成要素の意味の総和から生まれる意味を持つ合成語が作られるのだと示すことにあるが、それは自然言語がscrewdriver〔ねじ回し〕とかcorkscrew〔コルク抜き〕とかparasol〔日傘〕といった名詞を合成したり、Medio-lanum〔平野の中心、メディオラーヌム(ミラノの古名)〕がMilan〔ミラノ〕に変わるような自然発生的な膠着が生じたりするときに起こっていることであって、残念ながらラテン語のcadaverで起きはしなかった。イシドールスのいうcadaverの語源がもっともらしかったとして、あるいはbeffroiにメーストルの言うような語源があったとして、それは単語そのものと意味される現実とのあいだに何らかの類像的で有契的な関係がある証拠では全くない、むしろそうした新しい造語は頽廃的な修辞学教師に典型的な言葉遊びから生まれるものだ、直感的な民衆の知恵からではない。
こうした観点をメーストルが見落としたのは、言語は本来真理を述べるものだと読者に(ほとんど教育的に)納得させる、言語学的ではなく宗教的な急務のせいとしか説明できない。そのことは、どの人間言語のうちにもある常に真理を告げようという衝動の発露を垣間見たときに、率直な喜びを表出していることから感じ取れる。「さまざまな言葉を作り上げる、いわば隠れた原理が働くのを目撃するのは、愉快なことです。ときにわれわれは、それが途中で出くわす困難と格闘しているのを目にします。その働きは、自身が持っていない形態を探し求め、手にしている素材に抵抗されます。そして幸福なる破格によって困難を切り抜け、上手いこと言ってのけるのです。rue passante〔人通りの多い道〕、couleur voyante〔人目を惹く色〕、place marchande〔商い広場〕、métal cassant〔もろい金属〕、等々」。
メーストルが必ずしもこうした合成語(あるいは言語が合成語を作り上げる隠れた動き)をいつも好んでいたわけではないことを除けば、こうした合成語の有効性について異論はあるまい、まるで言語はさまざまな変転をしつつも真理への義務にいつも忠実であり、そうでなければ堕落するかのようだ。堕落の例として挙げられているのは、すでに当時(馴染のサンクトペテルブルクにおいて)名刺に見られた肩書、Minister〔露:Министр大臣〕、Général〔露:Генерал将官〕、Kammerherr〔独:侍従〕、Fräulein〔独:令嬢〕、Général-ANCHEF〔露:Генерал-аншеф大将〕、Général-DEJOURNEI〔露:Генерал дежурней当直将官〕、Joustizii-Politzii Minister〔露:Юстиции-Политиции Министр法務・政務大臣〕、それから商業ポスターに見られた言葉、magazei〔露:магазин商店〕、fabrica〔露:фабрика工場〕、meubel〔露:мебель家具〕、あるいは軍事演習で発せられた号令、directii na prava〔露:дирекций на права右向け〕、na leva〔露:на лева左〕、deployade〔露:деплояде展開〕 en échiquier〔格子形に〕、en échelon〔梯形に〕、contre-marche〔後退行進〕、また軍務部門につけられた名前、haupt-wacht〔独:衛兵長〕、exercice-hause〔独:演習小屋〕、ordonnance-hause〔独:従兵小屋〕とか、commissariat〔露:комиссариат兵站部〕、cazarma〔露:казарма兵舎〕、canzellarii〔露:канцелярий官房〕、といったものだ。
直後に挙げられるのが、「素朴なロシア語」にも存在していたであろう「美しく優雅で雄弁な」単語である。souproug〔露:супруг〕(夫)は、まさしく「同じ軛によって他者とつながっている者」を意味し、「これほど的確で巧みな単語」は見つけられなかった、「こうした名詞を作ろうと熟考した野蛮人や未開人は、決して不器用ではなかったと認めざるをえません」と述べている。
いうまでもなく、place marchandeは正しいがcontremarcheはそうでないと決めつける理由など(趣味という評価しようのない理由を除き)存在しない。どうして夫のことを同じ軛によって他者とつながっている者(こんなものは祭りの冗談でしかない)と形容するのが美しく思われ、軍隊でチェス盤のように展開命令を出す(有効な空間的比喩だ)のがおぞましいのかは、定かでない。おそらくここでメーストルが嘆いているのは単に異言語の導入のみ、つまりある言語が他言語からの借用語で汚染されることなのだろう。いずれにせよ、個人的な語法の好みから、「耳当たりで〔by ear直感で〕」反応しているようだ。
要点は、もし言語が聖なるものとの一致に至る唯一の道とするならば、いかなる語源も「善」でなくてはならない、ということだ。あらゆる隠喩、もっとも凡庸な隠喩にさえ、真理が輝いているはずなのだ、screwdriverにさえも。黄金期に属するほど充分に古くないrue passantを堕落していない表現と看做すとき、メーストルは官僚的な言葉よりも民衆の言葉の清新さのほうに特権を与えているにすぎない。こうしたこと、あるいはほかの判別要素を追究したら、神秘的な言語学から社会言語学へと移行したであろうが、そのような意図は全く心にないのだ。
実際、絶えず立ち戻るのは、完全言語とは原初の言語であるという考えである。
どうして甚だ不幸なoxigoneよりもoxigèneのほうがさらに不幸なのか? メーストルは説明していない。もし言語が、中世において世界がそうであったように、真理の自然な啓示と看做されるならば、言語に間違いがあってはならないはずだ。中世の思想家たちが言っていたように、怪物さえも神の力を表わしているはずだ。それに、これはメーストルがはじめて主張したことだが、言語には、どんな人間の抵抗をも上回る、言語を創始する力があるのだ(だから言語は常に正しい)。
ただ、メーストルの推論が論理的にもっともらしい定式化に一度ならず至っていることは、言っておかねばならない。実際、3つの概念を区別しようとしているのだ。(1) あらゆる言語は他の言語から派生しており、すべての系譜をたどってゆくとひとつの大元の根源に至るという歴史的起源、(2) どんな言語もそれによって自らの才能を発揮するという自律的な力、(3) それぞれの言語のうちにあって、神から授かった「エネルゲイア」のように、いかなる歴史的な系譜も借用も必要とせずに原初の言語と同じような奇跡を起こさせている、各々の言語に内在する「超言語的な」力。したがって、以下の一節は、第一段で主張(1)を否定し、第二段で主張(2)を肯定しているものと理解できる。
だが、どの言語も自身の問題については自己解決していると断言されたあとに主張(3)が現われ、言語の自律性よりもむしろ、原初の神聖な力、つまりみことば〔「ヨハネによる福音書」の冒頭「初めに言葉があった」の「言葉」のこと〕の存在こそ全ての言語の源になったのだと証明しようとする。
だが、すぐに続けて、間髪を入れず、第一段で否定された主張(1)が再び提示される。
最後に、個々の言語が先立つ要素を咀嚼したり消化したりしながら常に適切な言葉を作る(いつでも正しい)自然さを強調すべく、このような説明が為される。「秩序も知性もない粗野な表現ばかりに夢中になっていた世紀、恣意的な記号について多くのことが語られましたが、しかし恣意的な記号など存在しないのです、全ての単語には理由があります」。これは、前に述べたこと、すなわちoxigèneなる造語は堕落のしるしだという話を否定している。実際、メーストルは偏っているのだ。近代のoxigèneの発明者は(近代であるからして)堕落しており、古代のcadaverの発明者は(古代であるがゆえに)正しいと、(はじめから)考えている。古代のcadaverの発明者もまた原初の命名者ではないのでないか、と疑いはしないのだ。
もっとも、諸言語が借用によって生きているという主張は、われわれも受け入れられる。言語は変化し適合する、それでも全ての単語が自然かつ有契的なのだ。メーストルがrue passanteの例に立ち戻ったら、この複合語の有契性に気づいただろうが、古典的な語源学者たちによるあれこれのこじつけを繰り返すことなしにはrueとpasserの有契性を説明できなかっただろう。だから、重要な点に至っていながら、諦めてしまったのだ。あるいは、行なわれるべき証明というのが以下のものだとしたら、自分では諦めたと思っていないのかもしれない。しかし、挙げられた例が全体として互いに矛盾しているため、われわれ、つまり読者の興味としては、一節のうちの(互いに食い違っている)さまざまな主張に注目せざるをえない。われわれが見るに、さまざまな主張とは、以下のものである。
互いに相容れない4つの主張は、以下のように間断なく述べられている。
この一節は「ですから、もう「偶然」とか恣意的な記号などと言うのは止めましょう」と結ばれている。だが逆に、そこまでの議論はすべて、言語による決定の限りない恣意性のほうを利するように思われる。それに、言葉の深遠なる起源という考えを仄めかす「これらは皆、どこから来たのか?」という疑問には困惑させられる。諸々の単語がケルト語やラテン語、アラビア語、トルコ語、ヘブライ語に由来すると聞いたばかりなのだ。
同時に表明された4つの主張が互いに相容れないことは、すでに述べた。もっとはっきりさせよう。これらの主張は、諸言語の誕生と発展という強い考えとは相容れないが、言語とは歴史・文化的な現象であり、超自然的な意志で決められた秩序なしに発展し、(故意であれ無意識であれ)借用や詩的創造や慣習的な気まぐれや「象形的」意図によって少しずつ安定してゆくのだ、ということを認めれば、各主張は両立しうる。ただしその場合、摂理という概念を完全に排除した進化論的な見方によれば、ある環境においてはキリンのみ首が長いから生き残れたのだ、というのと同じようにして、言語は構造的な状態へと至ったことになる。
だが、それはメーストルには受け入れがたいことだ。言語についての余談は、一連の思考でもって、以下のように結ばれている。それぞれの考えは納得できるかもしれないが、一緒くたにされると脈絡のない打ち上げ花火のようだ。
確かに『夜話』は会話の記録だが、この哲学的対話においてメーストルは結論のない駄弁という印象を与えたかったわけではないはずだ。結論の欠如、脈絡を欠く鉄の鎖が示しているのは、余談による逸脱ではなく、ひとつの方法である。
そのことは、他ならぬメーストルが充分に語っていた。「自律的創造」と題した一節を再読すれば分かるとおり、語源学を信じるためには、「類推の明かり」が消えてはならないし、推論を諦めてはならない。推論について、メーストルはこう考えている。推論とは、あらゆる物と他のあらゆる物とのあいだに切れないつながりの網目をめぐらす類推のすべてに身をゆだねることである。そう言って構わないし、そうしなければならない、なぜならこの網目は起源から存在していたと考えられてきたのだし、実際あらゆる知識の基礎なのだ。
真理と起源、起源と言語、このふたつの等式を置こうとするのは、反動思想の典型である。伝統なる思想は、それ以上の推論を止める神秘主義的な信念を凝り固まらせるにすぎない。
(訳:加藤一輝)