アルジェ覚え書き 1
平昌オリンピックが佳境である。
日本人選手の活躍も喜ばしい。テレビのない家で暮らしているのだが、羽生結弦選手の連覇は我がスマートフォンに入れているLe Mondeアプリも速報しており、改めて偉業なのだと感じ入った。
こうして冬季オリンピックが佳境のいま思い出すのは、四年前、ソチオリンピックの会期中、冬季オリンピックというイベントが存在することすら知らないような態度で暮らしていたアルジェの人々の顔である。
2014年1月31日から2月11日まで、私はひとりアルジェリアの首都アルジェに滞在していた。
旅行記を書く書くと言いながら四年も経ってしまったことに、オリンピックによって気づかされて愕然としている。
今夜は同居人も不在で時間を持て余している。
四年越しの旅行記を少しずつ書き進めてみたい。
倒れ込み目を閉じ開けて窓を見れば 地中海越し朝陽が昇る
そもそもなぜアルジェリアに行こうと思ったのか。大学二年か三年の時に読んだ小説がきっかけになってはいるのだが、明確には説明することができない。
アルジェリアは、日本人にとっては観光はおろかトランジットで一瞬滞在するだけでもビザが必要な、かなり面倒な国なのだが、ビザ取得の手間にもめげることなく、どうしてもアルジェリアに行くぞという強い気持ちだけがあった。
簡単に言えば、憧れの地だった。
アルジェリアの観光ビザは、航空券とホテルの予約が取れていれば問題なく発給されるはずである。少なくともそう調べた。
ところが、貧乏な学生は節約のため、立派なホテルではなくキッチン付きの部屋を短期で借りることにした。これがまずかった。
部屋の契約書を見せても大使館のマダムはこれではだめだと言う。いわゆる民泊のようなものなので、正式ではないということらしい。
何度も目黒のアルジェリア大使館まで行って押し問答した末、現地の役所のサインのあるInvitation Cardなるものの原本をEMSで送ってもらうことになった。
12月半ばに一度大使館に行く
→出発の一ヶ月前からしか受け付けないと言われる
→正月休み明けに行く
→書類不備を指摘される
→部屋のオーナーと時差のあるメールのやりとりを繰り返してInvitation CardのPDFを送ってもらう
→ファックスで提出するも原本が必要と言われる
→大使館宛にEMSで送ってくれと依頼するもなぜか送り状の宛先が私の自宅になっている
この時点でついに1月28日、出発前日になっている。
自宅のある区域の郵便局に転送を依頼し、転送依頼したから、と大使館のマダムを説得して、なんとかフライト当日の朝にビザを手に入れた。
飛行機も宿も事前に予約してしまっている。
キャンセルとなれば貧乏学生にはかなり痛い。
ビザ申請の一ヶ月はふだん鉄の胃袋を誇る私でも胃が痛んだ。
ちなみに胃痛に苦しんだのは、この時と修士論文執筆中と、人生に二度だけである。
ともあれビザを入手し、成田から飛び立った。
イスタンブール、アタテュルク国際空港での9時間のトランジット待ちを経て、先ほどの「倒れ込み…」に至る。
一泊めだけは、空港からのタクシーがわかりやすいように大きめのホテルを取っていたのだが、窓から地中海越しに昇る朝陽が見える素晴らしい部屋だった。
つづく