今日も皿を割った
皿を割る。
びっくりするくらい割る。
お気に入りのお皿もほぼ毎日使っている無くては困るお皿もお構いなしに割る。
皿が手から滑り落ちてゆく瞬間、うっ、と身構えると同時に、己の注意力のなさに諦めのような開き直ったような感覚をおぼえて、ぱりんと散り散りになってしまった皿のかけらを見下ろして呆然とする。そのとき、本当に、しっかり、悲しい。
今日限りでその皿とはお別れになってしまうことも、今この瞬間に発生した破片たちを片付けて捨てるという作業も、とても受け入れがたい。でもそれを数秒で飲み込んで、数分で何事もなかったかのように片付け終わる。いつも割るので片付けの手際だけはいい。けれどその悲しさや虚しさに慣れることはない。
この間、両親がプレゼントしてくれた出西窯だけは、どうか割らないようにと慎重に棚から出したりしまったりしている。
片付けの仕上げにフローリングシートで床を拭こうとしてシートをとりにいくとき、先ほど自分で書店の平積み風に置いていたお気に入りの本たちと目が合った。あ、と思った。心が緩む。本だけは、いつも私の味方だ。
そして、振り返ると床にごろんと私を仰ぎ見る猫もいた。そうだ、猫も、いつも私の味方だ。