暗黙知の功罪とは?
先週末、シンガポールで1回目のワクチン接種し、幸いなんの副作用もなく終わりました。
むしろそこより感動したのは、接種に向けたアナウンス、申し込みまでのプロセス、申し込んだ後の携帯電話のSMSを使った事前案内と前日のリマインダーの設計。全てがシンプルで、外国人である私にもわかりやすい。感覚的にわかるレベルに研ぎ澄ましてあるなんて非常に憎たらしい(笑)
当日のオペレーションもまた秀逸で、国のシステムが完全に言語や文化の異なる人たちを束ねることを前提に作られていて、言語も四言語表示。(これは全ての公的アナウンスで、そうなっている)。ただ、いたってシンプルなのと、その上に案内人が何人も立っているので、手招きについて行けば読む必要もない。
どうしたらこんなにわかりやすいシステムを組めるのか、接種後に副反応を見るための待機場所で30分待っている間に考えていたら、こんなことを思いつきました。
初めは、シンガポール政府には国の一級頭脳が集まり、報酬もとにかく高く、頭の良い人が目指したくなる環境があると聞いたことがあるので、頭の良い人が考えているからだろうと結論付けようとしたのですが、それだけではなく、暗黙知を排除した状態で政策やオペレーションを構築しているというところに秘訣がありそうな気がしてきました。
シンガポールは早くからダイバシティを意識して国を運営していることで広く知られていますが、こういう公共オペレーションを考える際に、異なる属性の人たちが集まり検討することは、文化的な暗黙知を排除してよりシンプルなものを生み出す秘訣なのではないでしょうか。もちろん暗黙知は、その内容を理解している人同士では非常に効果的かつ素早いコミュニケーションを可能としますが、そうでない場合は、混乱を生むだけです。
この一つの事例は、ビジネスシーンにおいても参考になります。なぜ日本のような単一民族の国で、特にダイバシティが必要なのかを示唆するの一つの例にもなる気がしました。
与野党で、対立構造を作り出しアラを探して蹴落とそうとする無益な労力に時間と血税を注ぐくらいなら、国を挙げて与野党がタグを組み本気でダイバシティやインクルージョンを考えていけば、日本の政府も霞ヶ関、ひいては地方自治体もよりシンプルつ効率的な運営ができるようになるのではないかなぁとなどと、勝手ながら妄想していた待機場所での30分でした。
さて、2回目の接種は7月半ば。次も何もないことを祈ろう😉