疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた、ま、りぁ、りぁ、りぁ
先週の土曜日だったか、講座の帰りにJRに乗って降りたことのない駅で降りてみた。
ずっと汽車に乗ってゆっくりとあてどのない旅をしたいと思っていたのが、半年以上経過してようやく実現した。
旅といっても片道三十分程度の気分転換の小旅行だ。
降りた駅は小樽市の朝里駅で、すぐそこの右手には海原が広がっている。
北海道のJRは昔ながらの「汽車」という感じで、ここも無人駅だった。おそらく地元民の人以外は滅多に降りないのではないか。それほど何もない土地だった。
目的もなくただ線路沿いを真っすぐ20分ほど歩き続けたが、延々と草花が咲いている住宅地が続くばかりで、どうすれば町に出られるのかまったく不明だった。
このままではただ行き倒れるだけなのでは?となり、それなりの距離を歩いてからUターンした。
時々自宅の畑に水遣りをしている人や犬の散歩をしているひと、バイクを運転している人とすれ違った以外は誰とも会わなかった。
一体ここの町の人はどこから市街に出ているのだろう? 店はひとつも見当たらないが、どこで食糧などを得ているのだろう?と疑問になった。
このまま帰るのも何となく勿体ないのでその次の駅の「小樽築港」でまた降りた。ちなみに「小樽築港駅」の次が「小樽駅」で、小樽駅には何度も行っては楽しませて貰っている。有名な小樽運河も小樽駅で降りればすぐに見られる。
本当は浜辺まで行きたかったのだが、そこまで行くとなると時間がかかるので、取りあえずは小樽築港の築港臨海公園から見える海でよしとすることにした。
公園では子供たちが元気に水遊びをしていた。ひとりで音楽を聴いている人もいた。ベンチにそのままバッグを置きっぱなしにしていたので、あまりにも危機感がないのでは?と心配になったりもしたけれど、それだけのどかな所なんだろうと思った。
実際、のどかだった。柵に肘を置きながら、私もぼんやりと何をするでもなくただ海を眺めていた。
海の色は私が見たかったようなすっきりと澄んだ青ではなく、いかにも日本海的な緑に近い色をしていた。
どうせなら太平洋を見たいよな、と思いながら、これからの自分の来し方と行く末を考えていた。
どうすればいいんだろうか。
そんなことばかり考えていた。
三年前の今頃も同じことを考えていた気がする。どうしよう、どうしよう、どうしよう。
毎日朝が来るたびに激しい動悸に襲われて嗚咽をおさえながら泣いていた。
そのときを思えば、職場には恵まれたのでまあマシな状態なのかもしれない。ただ自分がさみしさに耐えられないだけで。
実際、私は孤独に弱くなった。昔は一人で生きていくものだと思っていた。経済力がゼロでもそれでも誰かと生きていきたいとは、まったく考えたこともなかった。
私が一生共に生きたいと思っていた姉はすでに結婚して子供を生んでいたし、自分はひとりでたまに姉と姪たちに会えればそれで満足して生きていけるんだと思っていた。
自分の心なのに自分で制御できない欲望が湧いてくるのは、何でなんだろうか。
先月だか先々月だかに書いた人とは直接会って、別れた。別れたけれど、「ぶっちゃけ絶縁ってなるとすっげぇさみしいよ」と言われたこと等もあって、今もLINEでたまに話はする。
好き、だと言ってくれる異性たちは過去にも何人かいた。大好きだとか、愛してるとか。
でも、どうしても私にはその言葉は届かないままだったな。贅沢な話なんだろうけれど、私の心の奥底まで彼らの言葉は届かない。それがいつもいつも申し訳なく、そして疎外感だったな。愛されてるんだ、と自己肯定感が上がったりもしなかったな。
どうして世間のマジョリティはたやすく異性に恋してセックスして、それを幸福だと感じられるんだろうな。
私にとって愛されることは、いつもどこか罪悪感がつきまとう。それは自分の家庭の事情のせいかもしれないし、単にそういう気質として生まれたせいなのかは分からないけれど。
古い歌で「愛されるより愛したい」というのがあったけれど、出来れば私も愛したかったな、ほんとうに。
でも結局、仲の良い姉以上に愛せる人には巡りあえなかったな。これはもう仕方ないとあきらめるしかないんだろうな。
姉は自分の家庭があるし、昔から私のことをそこまで愛していないと分かっていても。
カモメがあちこちで鳴いてぬるい風が吹くたび、このまま私もどこかへ飛ばされていってしまえたらな、とそんなことを何度も思った。
自分が風に乗れない代わりに、以前友人が手紙と共に送ってくれた花びらたちを風に乗せた。
風向きの関係で海に届いた花びらはわずかで、ほとんどが私の足元に舞い戻ってきた。
とてもきれいだったけれど、やっぱりもっと海に運ばれて欲しかったな。
花びらたちの最後の花吹雪。
足元に舞い戻ってきたのなら、私もまだやっぱり海へは運ばれる運命ではないんだろうな、とどこかで納得した。
遠くの友人たちに文をしたためながら、海が見える店で夕飯を食べた。
何が言いたいんだか、自分でもわからないまま、何だか胸が苦しいので書き綴ってみた。
今年もあと半分になってしまった。とにかくこのまま何もしなかったらまた後悔するだろうから、まだ足掻くしかないんだろう。それだけは理解している。
取りあえずはセクシャルマイノリティ歓迎のバーに行ったり、今度は交流会に出たりしようと思っている。
バーでは生まれて初めて同じアセクシャルの人に出会えた。また誰か同じ悩みを持っている人に巡り会えて話せたらな、と思う。
それにしても別れた人は病気の後遺症で大変なのに、自分のことばかり考えていて我ながら呆れてしまうな。やっぱりただの自己中なのかな。ほんとうに申し訳ない(冬が終わったのでだいぶ体調は良くなったそうだ)。
タイトルの短歌は葛原妙子のもの。
最後は私と同じアセクシャルだという川野芽生さんの短歌を書いて終わろうと思う(何とこの川野氏、私と同じように一生を共にしたいのは姉だけだと書いていたので吃驚した)。
画像は訪れた場所で撮ったものだけど、一艘だけぽつんと海に浮かぶ船が自分のようだな、と思った。