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『差別の文脈』赤いきつねとコロンブス
前回のエントリーで触れた東洋水産のウェブCM『ひとりのよると赤緑』の炎上騒動もやや下火にはなってきたようだ。
おそらくそのうち忘れられると思うが、思い当たった点を少々追記したい。
「コロンブス」
具体例を挙げるべきかは憚られる部分があるが、私は今回の炎上騒動で、Mrs. GREEN APPLEが2024年6月に公開した楽曲『コロンブス』のミュージックビデオと直後の非公開化を想起した。
当該ミュージックビデオは公開直後から大きな批判を集めた。私も偶然、非公開化前にこの映像を見たが、確かに、歴史的、文化的な配慮に欠けた、差別的な内容だと解釈されても仕方がないものだと感じた。ほぼ即時の非公開化とメンバーによる謝罪という判断は正しかったと思う。
私の理解では、今回の『ひとりのよると赤緑おうちドラマ編』と、『コロンブス』には共通点がある。即ち、映像の制作サイドに差別的な意図がないにも関わらず、結果的に(少なくとも一部の視聴者から)差別的だ解釈されたことだ。
意図的ではないという点については、紙幅の都合でここでは解説しない。
映像のテーマ
『コロンブス』が即座に対応したのに対し、東洋水産は映像の公開停止や謝罪といった措置をとっていない。
『コロンブス』のミュージックビデオについて簡単に解説すれば、コロンブスに扮した人物が航海の先でたどり着いた島で類人猿と出会い、馬術や音楽を伝えてパーティーを楽しむという内容だ。これを差別的と解釈するには然るべき文脈を踏まえる必要がある。コロンブスが実在の人物であり、彼が西欧からアメリカ大陸に渡った後に、苛烈な侵略と人種差別、迫害が生じたという歴史的事実が存在する(と現時点では理解されている)。
ある意味で、コロンブスは西欧植民地主義のシンボルのような存在だ。海を渡って類人猿と出会う場を描けば、ネイティブアメリカンを人間ではないと表現しているように見える。その場を融和的に描いてしまえば、侵略や迫害の歴史を改ざんしているように見える。制作サイドにそうした意識がなくとも、コロンブスを作品のテーマに掲げている以上、作品の文脈は(現在の)歴史認識から離れることはできず、その前提に立った解釈からは逃げられない。
赤いきつねの文脈
翻って、『赤いきつね』にはどのような文脈があるだろうか。あの映像について、
差別的である
性的である
偏ったジェンダーステレオタイプ表現である
と解釈すべき文脈、事実や背景は存在するだろうか。女性が一人でドラマを見ながらうどんを食べるという光景に、そうした何かが存在すると解釈するのであれば、見る人の主観ではなく、関連付けられるべき事実、社会一般に共通しうる何らかの事実認識が必要だと私は考える。
SNSの炎上
最後に付け加えておきたい。SNSで炎上、批判の対象となった人の精神状態が危険にさらされ、最悪の結果を招いた例は実際に存在する。自らの発する言葉がどのような影響を持つのか、私自身も含めて、覚悟が問われるべきだと考える。