『インフレは誰のせい?』混迷する政局と金融政策
私は政治の話が苦手である。特に選挙となると、自分の肌感覚に近い結果が出た経験はあまりなく、一有権者としての素朴な意見を持ち合わせているのみだ。それでも、2024年10月の総選挙については、与党が議席を大きく減らしたことを受け、政局の混迷が懸念されているらしいことは理解できる。
このことが、私が普段向き合っている金融市場や政策にどう影響するか、いかに苦手な分野とはいえ、全く考えない訳にもいかない。
何が争点だったのか?
今回の選挙、投票前の公約をNHKがまとめている。
https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/shugiin/2024/pledge/
各党とも、給付金、減税といった内容を掲げている。
一般に、増税や給付の削減が実行できるのは、それを実行しても次の選挙で勝てるくらいに政権支持率が高い場合か、逆に支持率が地に落ちており、何をやっても次の選挙で負けることが確定している場合か、どちらかである。選挙前の段階では、よほど議席確保に自信がなければ国民負担増を掲げることはできない。逆に、支持基盤に不安があり、人気がない政党ほど財政拡張方向に向かう。今回の選挙では、いずれの政党も「自信がない」状況だったことが選挙公約にも表れている。
選挙の結果を受け、今後の政局は不透明だが、やはりバラマキ型の政策が選好されやすいように思われる。気になるのは、こうした財政拡張方向の公約と、足元の物価高との関係をどう考えるかだ。
インフレの政治問題化
岸田前首相が辞任に追い込まれた要因の一つに物価高があったのはおそらく事実だろう。今回の選挙がその流れの中で行われたことを考えれば、インフレ対策は大きな争点になってもおかしくはなかった。しかし、各党とも物価高への対処として掲げているのは給付や減税であり、大差がない。理屈としては、物価高への有効な対策は緊縮財政だが、やはり選挙戦略としてはほぼ自殺行為だ。結果的に横並びな公約となり、争点にはならなかった。
そもそもだが、物価の安定は中央銀行の役割である。そのための自主性も法的に(一応)付与されている。物価高で批判されるべきは首相ではなく、日銀総裁だ。しかも、金融緩和にはゼロ金利制約(zero lower bound)の問題があるが、金融引き締めにはそうした制約がない。筋論としては、政府に物価高対策を求めるよりも、日銀に利上げを求めるほうが理には適っている。
ところが日本では、政府が長く「デフレ脱却」を掲げ続けてきた。インフレ率が低位にある限り、財政拡張政策が実体経済に大きな問題を及ぼすことはなく、従って民意を得やすく、選挙も戦いやすい。コロナ禍前の約30年間、日本は基本的にこの状況が続いており、デフレを政治問題としても選挙で不利に働くことはなかった。しかし、ここ2~3年のようにインフレが進んでしまうとそうはいかない。
初めからデフレもインフレも日銀の責任だと言っていれば、物価高に対して「日銀が適切に対処することを期待している」と逃げることもできなくはない。有権者が本当に納得するかどうかは別だが、形式的な理屈は成り立つ。しかしアベノミクス期に当時の安部首相は異次元の金融緩和を「私の金融緩和」と放言して憚らなかった。今更物価は中央銀行の責任であり、物価高対策は日銀の仕事だと政治家が説明しても納得する人は少ないであろう。
今回の選挙でおそらく唯一、立憲民主党が
日銀の物価安定目標を「2%」から「0%超」に変更するとともに、政府・日銀の共同目標として、「実質賃金の上昇」を掲げます。
という公約を掲げた。
https://cdp-japan.jp/visions/policies2024/15
ところがこの公約、前掲NHKのサイトには記述がない。『物価安定目標0%超』公約の報道があった直後、SNS上で批判的な意見が多数見られたことから、前面に押し出すことを控えたのかもしれない。個人的には、共同声明の見直しは物価高対策として非常に真っ当な公約だと思うが、「デフレは悪」という認識が広く浸透した日本で理解を得るのはやはり難しいようだ。
ちなみに、立憲民主党は選挙公約の「財務金融」の最初に、
財政の健全化
「新しい金融政策」への転換
を提示している。あくまで他党との比較においてではあるが、相対的には最も緊縮的に見える。
選挙結果を左右したもの
選挙結果の分析については「かんべえの不規則発言」氏の<10月28日>(月)の分析が非常に分かりやすい。
http://tameike.net/comments.htm
http://tameike.net/diary/oct24.htm
特に以下の2点に集約されている。
過去5回の選挙でコンスタントに1600~2000万票を得ていた自民党が、いきなり1500万票割れしてしまった。察するに「旧安倍派=高市支持派」の岩盤支持層がごっそり抜けて、日本保守党や参政党に流れるか、もしくは家で寝ていたのであろう。結果として自民党の得票率は有意に低下した。これでは勝てないのも無理はない。
大勝利と伝えられる立憲民主党は、比例における得票数は過去2回とほとんど変わらない。
立憲民主党が議席数では大きく伸ばしたが、得票数では実は伸びていない。自民党の得票数が減ったために得票率で勝ったのである。公正な選挙結果を批判するつもりは毛頭ないが、野党の政策が積極的に支持されたと分析するのは、あまり的を射ていないと思われる。
そして金融政策は
今回の選挙結果を受けて、政局が不透明になっているために日銀は利上げができなくなる、といった論説も見られる。しかし、個人的にはそのようには考えていない。
今回の選挙で明らかになったことの一つは、多くの有権者は金融政策に関心を持っていないということだ。立憲民主党の共同声明見直しが、取り下げにこそならなかったものの、目立たない場所に追いやられたことにも表れている。物価高が日銀の、金融政策の問題だという認識が有権者にはほとんどない。
政府サイドも、今後はどうやって法案を通すか、議会を運営していくかが決定的な課題であり、放っておいても自主的に運営される金融政策に政治リソースを割く余裕はおそらくない。インフレが問題になっている状況で金融政策をこれ以上政治問題化するのは政府にとっても得策ではないだろう。このことは、日銀が政府に口出しされることなく、まさに独立して金融政策判断が出来ることを意味する。
また、市場への影響という点でも日銀の従来のスタンスがサポートされやすいように思われる。与党、野党いずれも基本的には財政拡張路線であることも影響してか、足元の為替レートは円安に振れている。植田総裁は、為替レートの影響について、
これまでの為替円安もあって、輸入物価が再び上昇に転じていまして、物価の上振れリスクには注意する必要もあると考えています。(2024年7月)https://www.boj.or.jp/about/press/kaiken_2024/kk240801a.pdf
最近の為替動向も踏まえますと、年初以降の為替円安に伴う輸入物価上昇を受けた物価上振れリスクは相応に減少しているとみています。従って、政策判断に当たって、先ほど来申し上げてきたような点を確認していく時間的な余裕はあると考えています。(2024年9月)https://www.boj.or.jp/about/press/kaiken_2024/kk240924a.pdf
と、認識をやや変化させてきた。政治要因で円安リスクが高まるのであれば、利上げを後ずれさせることのリスクは高まることになる。「経済・物価の見通しが実現していくとすれば、それに応じて引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していくことになる」という方針について、少なくともハト方向に修正する理由はないのではないだろうか。
余談
今回の総選挙については、こちらの事前予測を非常に興味深く見ていた。
https://prediction.election2024.newsdigest.jp/
「報道各社の情勢報道」の記述を参照し、過去の国政選挙結果との相関をモデル化してシミュレーションする手法らしい。精度の高さに感心すると同時に、元データのクセが今後変化していくことや、予測情報の公開が選挙戦略、投票行動に影響する可能性など、選挙そのものより、こちらの分析に強い興味を持った。