自分の知らない世界を書くということ
創作をする人は誰でも一度はぶつかるんじゃないかと思う壁の一つに、「自分が知らない(経験したことがない)ことを書く」ということがあると思う。
たとえば、主人公の職業。これを自分が経験した範囲だけに収めようとすると、ものすごく選択肢が少なくなる。(私なんか事務職しか書けなくなる。)もちろん、自分が直接経験していなくても、同じフロアに別の部署があってその仕事ぶりを普段から見ているとか、取引先で見聞きしたりという範囲は、「実際に知っている」にカウントしていいと思う。だが、それすら越えた範囲の、本当にドラマや映画でしか知らないような職業を描きたいと思ったら、どうすればいいのだろう。
取材しかない?
王道の回答としては「取材をする」ということになるだろうと思う。
私の好きな漫画である「動物のお医者さん」を描かれた佐々木倫子先生は、漫画のあとがきで、北大の学生に張り付き取材をさせてもらったことを書かれていた。北大の獣医学部なんて自分が経験している確率はまあまあ低いし、その場合、その題材を書きたいならそんな感じになるのだろうといういい例だと思う。
ああいった、しっかり舞台となる場所の特徴を捉えた物語を書きたいときは、取材しかそれを実現する方法はないのだろうか、というのが、今回の私が思う疑問である。
「小説家になろう」という、説明不要の大手小説投稿サイトがある。そこに投稿される小説の、正確に何割かはわからないが、かなりの割合がファンタジーである。その理由として、「投稿しているユーザーの大半が中高生であり、実際に社会に出たことがないために、自ずと(経験がなくても書ける)ファンタジーになる」という指摘をしていた人がいて、なるほどなと思った。中高生であれば取材というのもなかなかかなわないだろうし、だから自分の知識で書けるファンタジーに偏るのだという分析は的を得ている気がする。
私も例に漏れず(社会人経験はあるが)、現代物は自分がわかる範囲の題材に、そうでないものはファンタジーに逃げてきた。だが、お仕事物をかきたい、という欲求が、近頃私の中に芽生えてきたのである。
「経験、取材 or nothing」であるべきなのか
長くなったが、本題に入る。
経験したことがなく、取材もできない設定は、避けるべきなのか。
商業出版もされている、とあるセミプロ作家さんは、「自分が就いたことがなく、取材できる人もいない職業は書かないようにしている」と言っていた。たとえ入念に調べたとしても、もし実際と違う内容を書いてしまったら、一気に世界観が崩れてしまうから、と。
私はこの一言に、かなり悩むことになった。ちょうど、その会話があった頃、私はまさに自分が就いたことのない職業を主人公に設定して、一つ作品を書こうとしていたところだったからだ。
だが、考えるうちに、その「調べる」という言葉の示すものが、どうも、私とその方では違うんじゃないかという気がしてきた。
何を「調べる」のか
「入念に調べても、実際と違う内容を書いてしまったら」という仮定が成立するのは、調べて得た情報に「実際と違うことが書いてある」のが前提になる。そこに、私は疑問を覚えた。どんな情報を指してこの人はそう言ったのだろうか?
私が調べる、というときは、まず実際にその仕事をしている人のブログやツイッターを探す。そして、その人が日々仕事をしている上で遭遇するトラブルや楽しかったことなどを拾っていく作業を指している。それは全て「その仕事をしている人たちに実際に起こったこと」なので、「実際と違うこと」にはならないはずではないか?
もちろん、事柄によっては非常に珍しい出来事だったり、まずそうはならないという行動や反応だったりもするかもしれない。書いてある出来事や行動が、その仕事をしている人たちの間で一般的なのかどうかまではできれば調べておきたい。だがあくまで、それは「滅多にないこと」なだけであって、「実際と違うこと」ではない。
もちろん、その「滅多にないこと」なのをわからずに「よくあること」として描いてしまったら、それは失敗である。だが、そのリスクは取材でも、そしてひいては自分が経験したことのある仕事だとしても、程度の差はあれついて回るのではないだろうかと私は考える。
何を知りたいのか
取材が一番聞きたいことを聞ける確率が高いのは確かだろうと思う。ネットには書いていないようなことが聞けるのも、強みだろう。
だが、私はやはり「経験・取材 or nothing」とまで言い切ることには賛同できない。取材でなければ書けない職業は、確かにあると思う。だが、「経験したことはなくても、ネットで経験者の言葉を拾うことで書けるもの」も相当数あるのではないか、というのが現時点での私の結論だ。
結局は、何を知りたいのか、に尽きるのではないだろうか。「その仕事をしている人は、どんなことがやりがいで、どんなことが辛くて、どういう時にどんな気持ちになり、どういう行動に出るものなのか」を私は知りたい。そして、もちろん職業によっては守秘義務が固く、人に容易に話すことができない場合だってあるだろうが、そうでもなければ、上記のことを取材によらずとも拾ってくることは決して不可能ではないと私は思う。時間はかかるが。
他人は親切ではない
創作論的な話はえてして不毛である。そこに大抵正解はなく「あなたがそう思うならそうすればいい」が結論だからだ。そして、「ああ、間違ってるなあ」と思ったとしても、他人がその間違いを指摘してあげる義理はない。なんなら間違ったままでいてくれればライバルが1人減って好都合、と考えることもできる。だから、私もこの話をあえて創作「仲間」のいるTwitterなどに書くことはしない。面倒なやつだという印象を植え付けることくらいしか役に立たないからね。ただ、ここは私の創作活動及びその産物からは自由なスペースなので、異論は歓迎である。異なる考えの方にも是非、お話を聞きたいと思う。コメントなど書いていただければ嬉しい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?