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短編|夜の屏風(菊乃、黄泉より参る!番外編)

こちらは、第8回角川文庫キャラクター小説大賞受賞作『菊乃、黄泉より参る!』に宛ててファンレターをくださった方へのお礼SSです。
発売から一年半が経ちましたため、一般公開させていただきます。
ネットでもたくさんの方に菊乃&鶴松を好きになっていただき、とても嬉しかったです。心からの感謝をこめて、本作を捧げます。

単独でも読めますが、時間軸としては本編第四章あたりの、とある一夜の出来事です。どうぞお楽しみください。


夜の屏風


「鶴松はいつも、さりげなくわたしを気づかってくれるな」
 菊乃が言うと、ふたりの布団の間に屏風を立てていた鶴松は怪訝そうな顔をした。
 夜。舟宿「波千」の二階にある、舟待ち客のための待合室である。
 ここ数日、ふたりは長崎屋で起きた化け物騒動の解決のため、この部屋で寝食をともにしていた。
 女将の左衛門の好意でそういうことになったわけだが、菊乃は見た目こそ童女でも、中身は二十八歳の武家の女だ。ゆえあってとはいえ、夫以外の男と同じ部屋で寝ることに抵抗を感じないわけではなかった。
 そうした心情を察してか、鶴松は菊乃がなにも言わずとも、毎晩こうして屏風を用意してくれていた。ささいなことではあるが、細やかな気づかいが嬉しい菊乃である。
 が、鶴松は馬鹿にした表情で「ふん」と鼻を鳴らした。
「だれがおまえに気づかいなんかするか。この屏風はな、俺の身を守るためのものなんだよ」 
「む。どういう意味だ?」
「どういう意味もへったくれもねえ。いいか、この屏風からこっちは、二十二歳、花も恥じらう鶴松さまの寝床だ。指一本でも入ってきたら、お奉行に訴えでてやる」
 菊乃はぽかんとし、あわてて反論する。
「だれが入るものか! おぬしこそ、つま先たりとこちらの陣地に入るでないぞ、破戒僧!」
「あいにく、お子さまに興味はありませーん」
「子供ではない、大人だ! 知っているだろうに」
「見た目の話じゃねえ。菊乃は外見だけじゃなく、中身もしっかりガキなんですー」
「わたしの内面のどこが子供だと言う」
「木に登ったり、はだしで屋根の上を走ったりするのは、立派な大人のふるまいですかねえ?」
「ぐっ……、い、いや、しかしあれは致し方なく」
「致し方ないとか言うわりに、菊乃さん、ずいぶん意気揚々としてらっしゃいましたけど……」
 菊乃はぼっと頬を熱くした。たしかに日本橋の商家の屋根を走ったり、寺の境内の木に登ったりしたのは、けっこうなかなかわりとだいぶ楽しかった。
「……わかった。わたしが大人げないのは認める。だが、『俺の身を守るため』とはいったいどういうことだ?」
 鶴松はじとっとした目つきで菊乃を見つめてから、「どうやら、まったく自覚はなさそうだな」と肩を落とした。
「まあ、おまえもいきなり子供の体になって難儀してるんだろうし、これ以上、四の五のは言わねえよ」
「えっ、いや待て、なんの話をしている⁉」
 自覚とはいったいなんだ。それと屏風となんの関係がある。戦々恐々となる菊乃を尻目に、鶴松は言った。
「ともかく俺が言いたいのは、この屏風から先には入ってくんなってことだけだ。赤穂浪士が討ち入りしてこようと、富士山が噴火しようと、そっちでおとなしく寝てなさい」
「ははは、鶴松。富士山が噴火するなどとありえぬことを。ところで、あこーろーしとはなんだ?」
 死後に起きた赤穂浪士の討ち入りも、一昨年に富士山が大噴火を起こしたことも知らない菊乃は首をひねるが、「いいから寝ろ」と軽くあしらわれ、渋々、布団に入る。
(こんなに悶々とした気持ちで、果たして眠れるだろうか)
 菊乃は不安に思いながら目を閉じ――一瞬後、「すやぁ」と心地のいい寝息をたて、深い眠りに落ちていった。
 
 さて、深夜である。
 鶴松は「ガタンッ」という音とともに目を覚ました。足元になにかが倒れかかってきたような軽い衝撃を感じた直後、側頭部に「ごんっ」と強烈な一発をくらう。
「……こいつ!」
 鶴松は勢いよく身を起こした。闇に目をこらすと、倒れた屏風が体の下半分に乗っかっている。隣をにらみつければ、屏風を蹴りたおした張本人である菊乃が、鶴松の布団のすぐそば、床板の上ですやすやと眠っていた。
 両手足は大の字に広げられ、さっき鶴松の頭を殴ってきたのは、どうやら「ぐー」を作っている右手のようだった。
「本当にお武家のお姫さまか、おまえは!」
 毎晩毎晩、この寝相の悪さはどうにかならないものか。昨晩は鶴松の顔面に蹴りをくらわせ、おとといは鶴松の頭を抱えこんで「よしよし、いい子だ、善太郎」と寝言を言いながらあやしてきた。屏風はまったく用をなしていないのだが、それでもないよりはましと思っていたのに、今晩はついにその屏風まで蹴りたおしてきた。
「そろそろ、すまきにして神田川に放りなげるぞ」
 鶴松はいらいらして、菊乃の頬を左右にひっぱった。
 すると、菊乃は眠ったまま「にへえっ」と笑った。その寝顔の、なんとまあ能天気で、無邪気なことか。
「よくもまあ、数日前に知りあったばかりの男のそばで、そう無防備に眠れるもんだな……」
 鶴松は深々とため息をつき、短髪をガリガリと掻いて立ちあがった。菊乃を抱えあげ、子供用布団にそっと寝かせる。ついでに、ぐちゃぐちゃに丸まっていた掛け布団を広げ、体にかけてやる。屏風もしっかり立てなおしてから、鶴松は自分の布団に戻った。
(まあいい。これも菊乃が黄泉に戻るまでの間だけだ。もうちょっとぐらいなら我慢してやる)
 それに――、と鶴松は思う。
 本音を言うと、安らかな寝息が屏風の向こうから聞こえてくるのは案外悪くない……と思ったり、思わなかったり。
 鶴松は菊乃といることを思いのほか楽しんでいる自分を自覚し、気恥ずかしい気分で布団を頭からかぶった。
「おやすみ、猪姫」
「うむぅ……鶴松……いい子だ、よしよし……」
「いや、あやすな」



おわり


お読みいただき、ありがとうございました!

本編あらすじ

時は、江戸時代。「男姫」の異名を持つ、男まさりで正義感あふれた武家の女・菊乃は、二十八歳で病により世を去る。
もはや未練はない――。
最期に「なにか」を見たことで、悔いなく黄泉へと旅立ったはずの菊乃だったが、なぜか十五年後の未来に、突然、黄泉がえってしまう。しかもその姿は七歳ばかりの童女で!?
降魔師の鶴松とともに、黄泉へと戻るすべを探しながら、江戸の町をゆるがす「獣の怪」の解決に挑む! エンタメ時代小説。

書籍情報

一章丸ごとお試し読み(カクヨム版)

キャラクター紹介

Xでポストした以外に公開されている場所がないので、こちらに永久保存させていただきます…! くろでこ先生(@ymtm28)、菊乃&鶴松に魂を与えてくださって、ありがとうございました!

よみがえり少女・菊乃(イラスト:くろでこ様)
降魔師・鶴松(イラスト:くろでこ様)

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