怒りとは期待値と現実とのズレ
どのくらい前だったかは覚えていない。もしかしたら20年くらいは経っているのだろうか。
かつて、とある本を読んでいて
「人が怒るのは、事前に抱いていた期待値と現実の結果とで差があるためで、その差分の大きさ=怒りの大きさだ」
という趣旨の記述があった。
それは自分にとっては非常に衝撃的で腹落ちする視点だった。
もはや何の本だったのかは覚えていないが、この内容だけは、それ以来常に頭の片隅にある。
なぜ自分は苛立っているのか、怒りを感じているのか、の理由を逆算し、
怒りの感情
↓
現実の何が不満なのか
↓
事前の期待値がどうだったのか
↓
なぜ期待値と現実に差分があるのか
と掘り下げていくと、多くの場合、そもそもの期待値の設定が誤っているという結論に到達する。
(※もちろん、期待値の設定は正しく、現実のほうに問題がある場合もある。例えば、契約に明確に謳っているサービスが提供されていない、など。そういったパターンは除く。)
期待値の設定を誤る理由を考えると、多くは自分の一方的な思い込みや勘違い、つまりは事前の情報収集の不十分さ(ときには怠惰さ)、あるいは指示や伝達が不正確・不十分であったことが原因だったりする。
例えば、Aさんに○○○をお願いしたが、思ったほどちゃんとやってくれなかった、ということがあったとする。
「何でAさんは私のためにやってくれないんだ?!私を軽んじているのか?!」
などと感情的に怒り出す前に、
・そもそもAさんにそれを依頼するのが適切だったのか(本人のスキルや余力を事前に把握したのか?)
・どの程度のレベルのアウトプットを求めているのかきちんと伝えていたのか(前提のすり合わせ不足、あるいは作業指示が不適切だったのでは?)
・本来有料で依頼すべきなのにAさんが無償サービスでやってくれていたのでは?(怒ること自体が筋違い?)
などなど、確認すべきことはたくさんある。
このように突き詰めて考えていくように習慣付けると、大抵のことには「何かしら理由があるのではないか?」「まずは事実関係の確認から」と怒りを覚えにくくなっていく。
反射的に短気な反応を返すよりは、周りにとってもそして自分自身にとってもそのほうが穏やかで良いし、自分に落ち度があることに無自覚なまま恥をかくこともない。
また、その後に何かしらリカバリーしていく課程でも、相互に何を伝えてどう改善すればいいかが明確になるので、スムーズにいくことが多い。
元々、自分はかなり短気ですぐに人に対して苛立っていたと自覚しているが、この考え方を知ってから大きく変わった。
根拠無しに期待値を上げなくなったので、人や物事に対してかなり寛容になった。
ただしその代わりに、期待できない相手に対しての見切りも早くなった。
期待値を上げない=必要以上に頼らない、相手にしない、わざわざ時間や手間をかけない、ということでもある。
例えそれが身近な親族であっても、だ。
それが良かったのか、悪かったのかは、たぶん人生の終盤になれば自ずとわかるのだろうね。
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