見出し画像

大人へ絵本memo ~気恥ずかしさを求める時の~

大人になると 表に出さない感情が 増えていく。

10年ほど前までの私には

怒りの感情が

確かにあった。

特に
言いたいことを怒りと言う表現で向けてくる人に対して
「なんでそんなに怒る必要があるん❓❗」
と言って相当の勢いで怒り返していた。

言いたいことは分かるけれど、嫌な言葉や強い口調で
それを納得させようとする所が嫌でたまらなかった。

けれど

その怒りは

数年前に

綺麗に去って行った。

怒る人に対して
哀れみや可愛そうな人と言おうか
悲しみという寄り添いに変換されているように思う。


最後まで残った怒りの相手はパパだったが
嫌なことを言われても
怒る感情がなくなった。

あれ?
この人に何を期待していたんだろう

いつか優しい言葉をかけてもらうって
20年も妄想しちゃってた😂
そんな自分に 笑っちゃう
と思ったから。

前置きの方が面白く書けちゃった⤴


本題です⤵
私の持っていた怒りのように
失ったが故に、出さなくなる感情もあれば

ちゃんとあるけれど
表に出すのがためらわれる 感情がある。

それは

恥じらい。


この日本語が 照れる💦


頬を ぽっと

赤らめる 自分が 映るから。


子どもと一緒に読むには気恥ずかしいような絵本があります。

大好きなんだけれど

図書館で何度も借りては じっと眺める。


おすまし
   色気
    幻想的
      怖さ があるから。


視線なのか 色使いなのか

子どもに進んで見せられない雰囲気がある。

買って家に置いておけない気恥ずかしさがある。


 宇野 亞喜良さんのイラストの絵本

買わなくてごめんなさい。

でも 好きです。


画像6

『2ひきのねこ』
 宇野 亞喜良(作)
2017年 ブロンズ新社

宇野 亞喜良さんの愛猫の切ないお話し。
恋人のような眼差しに目を合わせるのがためらわれる。

宇野 亞喜良さんが書いた文章はこれしか読んだことがありません。
以下は他の方の文章です。

宇野 亞喜良さんのイラストが付くと
どれもが世界の憂いに満たされ
たちまち気恥ずかしさが発動する。


画像2

『おみまい』
 矢川 澄子(作)宇野 亞喜良(画)
2001年 ビリケン出版

おばあちゃんのお見舞いに 垣根の薔薇を失敬してしまう。
さまざま好き勝手に振る舞うが・・・

宇野 亞喜良さんの花はしゃべっているよう。


画像4

『あのねこは』
石津 ちひろ(作)宇野 亞喜良(画)
2019年 フレーベル館 

かけがえのないものを失ったときの言葉の集まり。

最後のページにしかけのある絵本。



画像3

『あのこ』
今江 祥智(作)宇野 亞喜良(画)
2015年 BL出版
※1966年に理論社から出版された新装改訂復刻版
こちらは見ていませんが、たぶん中身は同じなのだと思います。

疎開してきたあのこは馬と話が出来る。

少年と少女の言葉少ないやりとりに、舞台がいつ、何処であろうと変わらない、決して異次元ではない心象風景を突きつけられる。
自分の中にも確かにある それ。

読んだときの衝撃が今も心に残る。
文章にもイラストにも。

たぶんこの本を凝視した瞬間から、私は自分の中の絵本の概念を、
まったくもって取り払う作業を始めたのだと思います。

それからというもの
たくさんある今江祥智さんと宇野 亞喜良さんの共作をいくつも読んだ。


どれもこれも
心のどこかが 切なくて
気恥ずかしくて
それを求めてしまう自分を
物語の中に 隠してしまいたくなる



画像5

『きんのおの』イソップえほん (6)
蜂飼 耳 (作) 宇野 亜喜良 (イラスト)
2017年 岩崎書店

さまざまな物語や昔話も宇野 亜喜良さんのイラストで出版されています。
やっぱり世界が飛び抜けているから、物語への衝撃は残るかも。