『建築環境今昔』 歴史から建築環境分野の営為を見直す
空調や衛生、電気などの設備は建築の中枢的な機能を担い、快適な室内環境を安定的に供給する技術として、建築の自由な造形を担保することにも寄与してきた。しかし、これまでに設備を主題とした建築の歴史書は多く書かれてこなかった。レイナー・バンハムは『環境としての建築』で環境制御技術が近代建築に与えた影響を論じたが、機械設備と表層としての建築表現の関係に重きが置かれており、ライトやコルビュジェ、カーンといった著名な建築家の作品を軸に歴史が語られた。一方で、本書は建築設備そのものの歴史を辿り、機械設備の開発に取組んだ技術者や建築環境の研究者を中心とした新たな建築史を展開している。対象は明治から平成までの日本、登場人物は143名、参考文献の数は588に上る。
建築環境分野に歴史観が求められる所以
著者は本書の冒頭で、建築環境分野の人間が歴史観に乏しいことを指摘する。その原因として、建築環境分野の人間がこれまでは外部の科学技術の発展に追従すれば身を立てられたために、歴史を顧みた洞察から未来を思考する必要に迫られることが少なかったことを挙げている。一方で、建築の環境制御に関わる機械設備の技術が相当に成熟した現代では、先端技術を扱うという側面から建築環境分野の仕事に価値を見出すことが困難になる。我々は建築環境分野に身を置くことの意味を問い直される時を迎えている。この時、建築環境分野の歴史的・現代的な背景を冷徹に認識し、未来を展望するためのフレームを取得するために、歴史観の醸成が必要になる。
建築環境分野の日本近代史
本稿では主に、昭和の中でも特に第二次世界大戦後の歴史から、建築環境分野の将来を占う材料を探したい。西洋の設備技術の模倣と習得に時を費やした明治と大正を経て、国内の重化学工業の発展に伴い、本格的かつ独自の設備技術の発展が昭和から始まる。
1938年の国家総動員法から第二次世界大戦にかけて、民間による設備技術の開発は一度停滞したが、戦後の復興期からは急速に発展の時代を迎えた。戦後すぐに建築設備の技術者たちは、進駐軍人とその家族のための住宅(ディペンデント・ハウス)の建設や、進駐軍による接収建築の改修に駆り立てられる。これらの工事が戦時中に遅れた日本の設備技術を回復させる契機になったという見方もある。新晃工業が1951年(昭和26年)にクロスフィンコイルの製作に成功し、大阪金属工業所(現在のダイキン)が同年にパッケージ空調機を開発するなど、国内の設備機器の製造企業も活発になる。複数の設備施工者の創業や、ゼネコンによる研究所の開設、建築研究所の誕生も戦後の混乱期のことだった。朝鮮特需で始まった1950年代には既に、高い技術を習得した国内の設備設計者たちが多彩な設計を行っていた。例えば高砂熱学工業の柳町政之助は1953年(昭和28年)に竣工した梅田の産業経済ビルで、建築の熱容量を活用することを目的に、放射冷暖房用の配管をコンクリート躯体に埋設したシステムを設計している。これは近年日本で広がりを見せている躯体蓄熱放射システム(TABS: Thermo Active Building System)と同様の発想である。柳町はこの建築に限らず、放射暖房やヒートポンプ暖房、蓄熱空調など、実に多様な設備システムを最も早い段階で実践している。その様は設備技術との戯れを純粋に楽しんでいるようにさえ映る。東京オリンピックや大阪万博での新たな建築設備システムへの挑戦や、オイルショックを契機としたパッシブ建築の広がりなど、社会の激動の中で新技術が数多く実践されることで、建築環境分野は急速な発展を遂げた。
計算機技術が戦後十数年のうちに環境工学分野に伝わった影響も大きかった。研究分野では、計算機技術が流体解析や熱負荷計算などのシミュレーションを興隆させた。実際の建築設計においては、設備の電算制御が1970年代に大阪の二棟の超高層(大阪国際ビルディング、大阪大林ビルディング)で実現する。大阪大林ビルディングの設計者である中原信生は、エネルギーや人間の快適性、環境影響などを同時に考慮し、それらの均衡点を探る設備システムの追求を「最適化」という言葉で表現した。計算機技術の高度化が、設備設計をエネルギーと環境品質などの背反する複数の軸で評価するという新たな知的態度をもたらしたと捉えられる。この点は、情報技術の急速な進化の影響を受けている現代の建築環境分野を振り返る際に参照しうるかもしれない。
さらに、昭和末期には既に設備システムが現代にも通用する水準に達していた点は把握しておくべきだろう。1982年(昭和57年)に竣工した大林組技術研究所本館は、当時の先端技術を徹底的に結集することで、床面積あたりの年間エネルギー消費量が現在のZEB(net Zero Energy Building)の一般的な水準をも下回るほどの性能であったという。平成においてもヒートポンプシステムにおける未利用熱エネルギーの活用や、節水便器、LED照明の登場などの技術的進歩はあったが、設備技術の成熟は昭和の目まぐるしい疾走の中で大部分が進行したとみていいだろう。
建築環境分野の現在を見返す
設備技術が飽和点に漸近しつつある中で、建築環境分野のこれからをどのように占うか。かつて計算機技術が設備設計を多面的に評価する「最適化」の概念をもたらしたことを参照すれば、現代の情報技術の高度化が環境技術に磨きをかけるという仮説を着想できる。
情報技術の核心は膨大なデータの取得にある。建築環境分野での活用には、IoTを活用した環境センシング、ウェアラブルデバイスによる人間の生理情報や心理データの測定、行動履歴の取得などが挙げられる。この恩恵を受ける環境計画の発想に、不均一な室内の温熱環境を意図的に計画するというものがある。従来の温熱環境計画では、PMVなどの熱的快適性の尺度に則り、統計的に不満足者が少ない環境を目指して均一に空調することが一般的だった。しかし、オフィスなどでは、性別や体躯、活動量の差などにより温熱環境への要求が個人ごとに異なるため、均一な環境では不満を無くすことはできない。一方で、暖かい場所や涼しい場所など、個人の熱的嗜好に合わせて快適な環境を選択可能にして不満を減らすことが、不均一な温熱環境計画の狙いである。情報技術は温熱環境の不均一性と在室者の熱的嗜好をマッチさせるのに役立ち、不均一な温熱環境計画の実現を下支えできる。この例に限らず、情報技術は今後も新しい環境計画の実現を手助けするだろう。ただし注意すべきは、情報技術がもたらすものは記録や分析の手段であって、建築環境の新しい価値を勝手に生み出してくれるわけではないことである。技術を応用して新しい価値を掘り起こすのはそれを扱う人間に他ならない。
一方で建築環境分野は、社会が建築に求める価値を実現することも重要な役割であった。省エネルギーや低環境負荷といった評価軸は社会から建築にもたらされ、これらの問題を扱う環境工学は社会に要請される学問となった。近年ではカーボンニュートラルやSDGsの達成にむけての役割が建築環境分野に求められている。しかし、こうした目標の内実は、あくまでも相対的な数値目標であったり、グローバルな概念故に問題の個別性を掬いきれないという側面もある。その達成が建築の価値を絶対的に高めるのかという疑念は常に意識すべきだろう。建築環境分野が社会に求められる役割は確かに大きいが、政治的な正しさにばかり価値を偏重して活動を矮小化してしまえば、これまでに築いてきた分野の土壌はやがて枯れてしまうだろう。時代の制約の中で建築環境分野に特有の多様性を引き継いでいくには、建築での実践を絶やさないことが必要になる。社会が新しい取り組みに非寛容になっていくならば、我々は技術だけではなく、他者の共感や協調を得るための言葉を扱う能力がより求められるかもしれない。
著者はあとがきで、本書では技術の歴史ではなく、人間の歴史を書くことに注意したと述べている。本稿では触れられなかったが、戦渦の中でも情熱を絶やさない研究者や、設備設計の可能性を純粋に追求した技術者らの情念が確かに読み取れた。また、建築環境分野の用語や、学会名称の成立過程、用語の翻訳の経緯に関して細かく記されている点も本書の特色である。命名や翻訳には、それを行う者たちの思索や交渉の過程が宿っており、これらを辿ることは歴史から現在を解釈する行為に通じる。この分野を育んできた先人たちの末尾に連なる者としては、社会が揺れ動くたびに彼らの歴史と出会い直すことで、未来への手掛かりを探りたいと思う。
書籍情報
富樫英介, 建築環境今昔, 工学院大学 富樫研究室 (2023/4/26)