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クッキーを焼くと思い出す光景がある
今更ながら、クッキーを焼いている。
素敵なグランマとともに、クッキーを焼いている。
ていねいな生活にクッキーを焼くという行為は欠かせない。
焼けるのを待つ、という何もしないぜいたくな時間。
オーブンからただよう小麦の焼けるにおい。
そっとオーブンを覗き込めば、わずかに膨らんでいる丸い生地。
あなたはもう、オーブンが調理を終える五分前からミトンを両手にはめて待ち構えている。
そう、クッキーを焼くというのは、とてもいとおしく、やわらかく、甘ったるい、人生を豊かにする行為である。
ただひとつ問題があるとするならば、もしあなたに抱えているタスクがあるとき、それが滞ってしまう可能性があるということ。
たとえばわたしにとっては、web連載中の原稿。
展開に詰まっている、というのもあるけど、三日前にクッキーを焼き始めてから、1000文字くらいしか進んでいない。ガッデム。
おっと、仮にも言葉を操る人間が、安易な罵倒に逃げてはいけないね。
でもあえて言おう、ガッデムと。
マジでクッキーを焼き始めると原稿が進まない。
友達と通話しながらただひたすらクッキーを焼いている。
おまえは作業をするために通話を始めたんじゃないのか。
今日中にキャプチャー1を完結させるためにワードを開いたんじゃないのか。
おまえの意思はクッキーごときに負けるのか。
ガッデム。
ちなみになぜ今更クッキーを焼き始めたか、それはtwitterのとあるフォロワーの名前の横に、「わたしが焼いたクッキーの総数」が表示されていたことに端を発する。
こ、こいつ……今更クッキーを焼いている……だと……!?
という話が、そのクッキーを焼いている本人を含まない通話で話題となり、その場のノリでその通話に参加していたメンバーで「おれたちもクッキー焼くかあ」となったのが、運の尽きである。
そのときのメンバーがまだ焼いているかは知らないが、少なくともわたしはまだ焼いている。
ワードを開きつつ、たまにオーブンを覗きつつ、文章を練り入力しつつ、たまにオーブンを覗いている。
クッキーが焼ける瞬間はいつだってわくわくする。
わたしが心の奥底に有している「原風景」が刺激されるのだ。
赤い屋根に白い漆喰の壁の一軒家で、大好きなグランマが大きなチョコチップクッキーを焼いてくれていた、そんなありもしない「原風景」からくるサウダージ。
芝の刈り揃えられた庭には大きなゴールデンレトリーバー、キッチンに備え付けの大きなオーブン、そこから漏れる香ばしいかおり。おしゃまな妹は待ちきれずにオーブンの前に寝そべって中を覗こうとしている。
そんなどこにもない懐かしい思い出を引き出す、それがクッキー。
わたしは、失われたあの光景を取り戻すために、これからもひたすらにクッキーを焼くだろう。
そうして三日目が終わる夜、わたしはトータルでおそよ800億枚のクッキーを焼いている。
原稿は?
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