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ADHDの私が瞑想教室に行ってみたんだけど、、、

search inside yourself(以下SIY)に出会ってからといもの、瞑想に魅せられた私は、瞑想を教わってみたいという衝動に駆られた。

というのも、私自身、瞑想を教える人になれるものならなりたいなぁと最近感じていたのもあるし、教わったこともないのに教えるのはいかがなものか、こんなに信用ならない瞑想インストラクターはいないだろうと思ったので、だったらまずは習ってみようではないか、と思い至ったのだ。

早速瞑想の体験をネットで探すと、まぁまぁそれなりに沢山ある。

これはなかなかの競合揃いだ、と思っていたが、私のような発達障害に寄りそう瞑想教室というものは、九州地方に一件だけで、他はそんなに見当たらない。

発達障害の学術書には、発達障害の症状を抑えるにはマインドフルネス(瞑想のこと)が効果的!としばしば書いてある。

しかしだ、発達障害が本を読むかと言えば、その数は決して多くはないだろう。

発達に障害があるんだから、大体生息域は競馬場とか、パチンコ屋とか、ソシャゲ界とか、そういうところになってくるに違いない。(私体験では)

だから、競馬場の馬券売り場にマインドフルネスのポスターを、できれば目を引くようなアプローチ(セクシーなポスターとか)で訴求する、というのがADHDへの正しい届け方だ。

パチンコ台の当たり演出の中でも良い、ソシャゲなら周回の最中に広告(セクシー)が出てきて、今動画を見たら100石もらえる!!とか書いてあるとADHDはすぐに飛び付くはずである(私体験による)。

なのに学術的に本にしか解決策が載ってないんだから、実質見つけようがない。

やっぱりそんな世界は不公平だ。

私達は機会の平等を生まれながらにして欠いている。

だから政治家は社会に蔓延する中毒に救済の提案を盛り込んで頂きたい。こういうマニフェストがあれば私は確実に一票投じよう。

おっと、話が逸れすぎたので元に戻そう。
とにかく目ぼしい瞑想教室をストアカで発見し、無事に受講する事ができた。その時のレポートを今回はお届けしようと思う。


教室に着くと、1人の女性がお出迎えして下さった。とても品のある先生だ。

申込の段階では、受講者が1名だけかなと思っていたのだが、もう一名いらっしゃるとのお話を頂き、少しばかり緊張した。

それで、すぐにもう一名の方がお越しになられた。
清楚な女性だった。

こうして品のある先生と、清楚な女性と、何の変哲もない私の3人で瞑想の授業が始まった。

まずは自己紹介という流れになり、私から行うこととなった。私はSIYの出会いを語り、瞑想に興味が湧いたので習いにきたと話した。

それで趣味はピアノですと言ったところ、清楚な女性が「私はプロのオルガン奏者だ」と言った。

そこで、私は今バッハの演奏を人前でしなければならないという事情を話し、でもバッハの旋律はどうしてもポップス上がりの私には理解できなくて、、、と悩みを打ち明けたところ、大変バッハに明るい方だったようで、そこから30分位のバロック音楽の授業が始まった。

とても楽しかった、私は初めてのバッハにチャレンジしたものの、全然覚えられないっていうか、え、なんで低音がこんな風に動く訳?というバッハの考えに寄り添えない事が悩みだったからだ。

そして品のある先生はダンスをやっているという事で、ダンスしている動画をスマホで見せてくれた。それはとても自信に満ち溢れ、舞を踊るというよりは、舞を心から楽しんでおり、何かインドの神様でも見ているような気分になった。

大体ここまでで40分か経過したと思う。まだ瞑想は始まっていない。でも3人はもう仲良しだ。

そしてさぁ、始めましょう!と、先生の授業が始まった。

まず先生は我々生徒に問いかけた。
「お二人は、人間の体に気が流れていると信じていますか?」
という質問だ。

私は「いえ、あまり信じていないです」と回答した。


そして場は凍り付いた。

清楚なオルガン奏者は私を異端者のような目で、まるでフクロウのような丸い目で私を見た。

3人の仲に早速ヒビが入る。

もちろん、こういう時は先生に迎合すべきであったのだろう。もちろん私にもそう言ったお約束の流れは心得ている方だ。

しかしだ。こういう確たる証拠がない世界を私はあまり信用していない。そういう育ちなんだ。ここは譲れない。そう思っていた。

しかし先生は「実は人間の体には気が流れているんですよ、それで、、、」と私にした質問などまるでなかったかのように話し始め、場は普通に戻った。

オルガンの目も、もう普通の人間の目に戻った。

私の心に一抹の不安が過ぎる、あれ、ここはひょっとしたら瞑想とは違う??

そしてとうとう始まった。
「気を練る」という授業が。

もう一度言う。
私は瞑想を習いに来たのだ。

なのに私の最も信頼の置いていない気功の授業が始まるという事態だ。

これは流石に、、、やるしかない。

いかに確たる証拠がない世界を信じない私でも、これだけの空気感に逆らうほどの心パワーを持っていない。

せっかく一度は正直にお伝えした気持ちであったが、ここは先生の領域展開、甘んじてその技を受けようと心に決めた。

私は先生の言う通り、手にボールを持つイメージでゆっくりと運動を始めた。

そう、気功はボールを抱えるような動きをゆっくりと行う。

しかも、風水からも気を得るため、東西南北全ての方向に対し、それぞれボール持ってる風運動を行う。

これはなかなか、気功は信用しないが、ゆっくりな動作を普段していないためか、なかなか良い運動になる。

気が湧き上がったり、練られたりする感覚はついに訪れなかったが、瞑想前のリラックス運動としてはなかなか良いものだ。

しかしオルガンはまさか気功の運動をするとは考えも及ばなかったようで、運動とは全くの無縁であるワンピースを着ているせいか、特に足をほんの少し縦に開くような運動の際に、そんなポーズ取れません、ここが私の限界です、という塩梅の運動になっていた。

オルガンもまた、瞑想教室と銘打った看板に騙された1人なのだと、密かに憐みを感じてしまった。

さて、30分ほどの気功が無事に終わり、お待ちかねの瞑想の時間が始まった。

瞑想は椅子に座った姿勢で行うスタイルだった。
カーテンを閉じ、ロウソクに火を灯し、無音の空間を作り出した。

次に瞑想でよく使われる、ベルの音が鳴った。ティンシャというベルらしい。

瞑想のガイダンスに従い、呼吸をする。先生は「光を吸いこみ、身体全体に光が届き切るイメージをし、吐き出す息は体全体の邪気を全て吐き出すようなイメージで、深く呼吸を繰り返して」と言う。

私はイメージ力の全てを総動員し、体全体に光を届け、まるで深海に生息する、暗黒に仄暗く光るイカになった自分を思い描き、脳内で体を光らせた。
そして身体中の毒素を全て吐き出すかのように息を吐き、ドス黒い紫と緑が混じった吐息をイカ墨のように吐く自分を思い描いた。
瞑想開始5分で人間を辞めてイカになった。

それでもなんだか、体が神聖なものになっていくような気持ちだ。

そして自然の音楽が流れた。場面は森、川、草原など、音で今の場所が変わっていく演出がある。

それぞれの場所でただ呼吸に集中する時間を過ごす。

心地が良い、、、
ここが雑居ビルの一角とはもはや思えないほど、イメージの中の私はイマジネーショナルプレイスに魅せられていた。

そしてクライマックスに、地球を旅立つことになる。宇宙に行き、地球を見下ろし、太陽系を眺め、宇宙の外側からこの万物の原理を眺めにいくことになる。

我は、神であり、かつ、宇宙の仕組みの、ほんの小さな仕組みの一つだと感じる。

万能かつ無力。しかしそこに矛盾はない。

そんな気持ちの中、再度ティンシャの音で現世に戻る準備を始めることになる。

ゆっくりと地球に戻り、目を開け、そしてオルガンと目が合った。

その時オルガンは言った「顔つきが変わってる」

え?私?
正直私はこの瞑想セッションの感想を述べたのだと思っていたので、意表を突かれた発言に若干狼狽した。

「凄いスッキリしましたー」とか、「不思議な感覚でしたねー」とか、そういう事を言い合うのが定番かなと思っていたが、まさか私の顔つきに関する評価が第一声とは、あまりにも突拍子もない発言だったので、私はただ顔つきが変わったと言われただけなのに「めっちゃかっこよくなった」と言われたような気分になり、顔つきに意識が向いてしまう。

瞑想終了10秒で煩悩に満たされる私の脳は、果たして瞑想適性があるのか、疑いが過ぎる。

ともかく、そんな感じで瞑想教室は終わりとなる。最後にリラックスのお茶とクッキーを頂きセッションは解散となった。延べ3時間の教室だった。

なにか、ちょっと思ってたよりも盛り沢山の瞑想教室ではあったが、とても良い時間を過ごさせてもらった。貴重な体験をありがとうございました。

スピ体験も、良いと思いました。
でも一回だけで良いかな、ありがとうございました。

オルガンもありがとうございました。
最後にオルガンとか呼んで本当にすいません、オルガン奏者の方は大変素敵で清楚な女性でございます。皆様勘違いしないで下さいm(_ _)m

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