【思い出話】母方の祖母①
私の祖母は昭和一桁の戦争体験世代で、7人姉弟の一番上に生まれた。
私は末孫なのもあって記憶の祖母は60歳以降の姿と思われる(計算すればわかるけどなんとなく計算したくない)。
子どもの頃の記憶では、祖母は家事に畑仕事に近所付き合いに婦人会にと、今思うと相当な働き者だったと思う。
…決して今の高齢者が働いていないという話ではない。自分があのくらいの年齢になって「同じように働けるか?動けるか?」と問われると自信がない、という話である。念のため。
冬になるとよく祖父母を思い出すが、一番最初に思い浮かべるのが「コタツに小型トースターを置いてかき餅を焼きながら時代劇を観ている祖母」の姿だ。
もちろんポットと急須と緑茶とカゴに入ったみかんが手の届くところに置いてある。少し斜め後ろに手を伸ばせばティッシュが届く。準備万端なばあちゃん(笑)
我が家はかき餅は年末の餅つきで、のし餅も一緒に作る。しっかり固まったら薄切りして空き部屋で数ヶ月天然乾燥させる。乾いたらトースターで焼いてかき餅になるのだ。
焼いたかき餅は冷まして正方形のオカキ缶に入れて、食べたい時に食べる。祖母は時代劇を観ながらそのストックを作っていたのだ。
子どもの私たちは「トースターでヤケドするといけないから」と言われ、自分でかき餅を焼くことはなかった。
だが、コタツでのんびりしていたら机の上に焼いたばかりのかき餅が自動供給される…つまみ食いするのは必然である(笑)
でもつまみ食いして怒られたことは一度もなかった。私が"エビ味"のかき餅ばかり食べて缶に入れる分の種類が偏ってしまっても、である。そればかりか「こっちの大きい方をお食べ」と形のいい方を勧めてくる始末。親になった今だからこそ思うが、晩ご飯前に勧めたらダメでしょ(笑)
不思議と素朴な味のかき餅は手が止まらなくなるので、私は自制心を多いに鍛えられた。鍛えられたが成果は出ていない。逆に美味しくて手が止まらなくなるかき餅に抗う方法を教えてほしいくらいだ。
道の駅とかでパッキングされたかき餅を見ると祖母の焼いたかき餅を思い出す。
売り物のかき餅は色も形もいいし美味しいとは思うが、不思議と食べたいとは思わない。
三つ子の魂なんとやらである。
ちなみに我が家のかき餅は母に継承され、規模は縮小されたが今でも実家で作っている。そして祖母亡き後だが、親戚や近所にいるかき餅ファンは一人や二人ではなかったので母が継承した事は両手を上げて歓迎された。なんでも頃合いになるとかき餅目当てに物々交換にやってくるそうだ。根強いファンだな(笑)
そうして母は「今年は猪肉をゲットした」とほくほく顔で年末に振る舞ってくれた。いやいやいや、猪とかもらったの初めてでしょ?大丈夫なのコレ、大叔父さん(祖母の弟)は猟師じゃなかったはずだよね?いつも通りの農作物で交換したらいいでしょ!え?ウリ坊も獲った?いやいやいや大叔父さんってば!ほどほどにして!(意外にも美味しかった)
ちなみにだが祖母はかき餅の味付け(エビとか塩昆布とか)が勘だったせいで、母が最初の頃に作っていたかき餅はいまひとつだった。
今では祖母に劣らない腕前になっているが、それは母のトライ&エラーの成果である。
…母が元気なうちにかき餅の作り方を記録しておくべきだろうか。そんな事をちらっと考えてしまう今日この頃であります。