言葉で伝える大切さ
秋の夕暮れ、一人で見知らぬ町を歩いてる時などに
各家庭から、夕飯の支度をしてるであろう匂いが
流れてくることがある。
家によっては、子どもたちがはしゃぐ声、テレビの音声なども
聞こえる。
今では、車移動ばかりなので、そういう「風情」を味わう機会は
少ないが、若い頃、東京にいたころは、頻繁にそういう光景に
でくわし、実家を懐かしんだり、なんともいえない郷愁の念を
覚えたものだ。
サンマを焼く匂い、カレーの匂い、ホットケーキか何かの
甘い匂いなどだ。
九州では10月中ごろまでセミが鳴くが、つい1時間程前まで
聞こえていたツクツクボーシの声が、今では鈴虫の声に
変わっている。
パソコンに向かい作業をしていると、階下で夕飯を作る音が
聞こえてくる。
当たり前の日常みたいだが、実は当たり前ではないのだ。
有り得ないからこそ有難たいという。
階下で聞こえる調理の音、皿がカチャっとなる音など
聞くともなく聞いてると、「あぁ幸せだなぁ」という
感慨が湧いてきた。
僕は、食事の時、いただきますとごちそうさまも言わない。
若かった頃の習慣から抜けきらず、また奥さんが食事を
作るのは当たり前だと思っていた時期が長すぎた….
がしかし、言葉にして伝えないと相手には分からないのだ。
以心伝心とか夫婦だからそのくらい分かるだろう、
では駄目なのだと改めて思った。
そして、もっともっと大切なことは、持てる限りの
勇気(笑)を振り絞って、「好きだ」とか「愛してる」とか
「いつもありがとう」ということを「口に出して」言う事だと思う。
今日も愛らしいムギちゃんだ。
ムギちゃんにしても、うちにいるのが「当たり前」なのではなく、
縁あって(僕が山の中で保護したのだが)我が家に来て、
検査を受けても、野生猫には珍しく何の病気もなく、
あれから約8年、僕ら家族と共にいてくれる。
あぁ本当に有り難いことだ。
秋の夕暮れ、こういう感傷が湧いてくるのもよいものである。