信じなくていい話
人生を豊かにするものとは、あなたの周囲にいてくれる人たちと愛。
目を閉じて、誰かの笑顔が浮かぶなら、あなたの今日は幸せに包まれている。もしそうでないなら、今よりもう少し、あなたはあなたの人生を生きたほうがいい。
あなたを幸せにするものは、アナタ自身より他にはいない。
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目に見えないもの
例えば、信じられないくらいの運を持っていたとして
あなたは冒険をしますか?
例えば、幸福と成功を手にするために必要な挑戦する力も、
目の前に立ちはだかる障害となる全ての問題を乗り越える力も、
人からの徒にそれを許す心の広さも、
疲れたら一息ついて自分を休ませることも、
体験から得られた全てのことを人と分かち合う優しさも、
時に傷ついた心のために、
自分を変えたくてついた嘘つきの自分を受け止めて、
そんな自分を愛するための力も全部既に持っているとして、
あなたは冒険をしますか?
あなたにとっての、
「幸せ」という言葉の意味はなんですか?
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仲間を作ること
「ちゃんとしなさい」という言葉には魔力があって、この言葉の力はとても強く、子どもの内にたくさん浴びせられると、大人になって問題に直面した時、その呪縛から自分を苦しめ、そこから解放されるのは簡単ではありません。
全てを自分の力でやらなくてはいけないモードになってしまうと、能力の高い人はできることの幅が広がり、何でもデキる人になってしまいますが、得手不得手の差が大きな人は、できない自分を責め続けることにもなりかねません。
能力の高い人は、誰かの利益のために利用されることがあります。
きっと利用する人の多くは無意識でやっていることなのでしょう。
たとえ悪意がなかったとしても、若かった時は、それを良しとする大きな器がありませんでした。
いえ、たいして今も、大きな人間でも、海のように広い心を持っているわけでもないので、さほど狭量な自分から成長したとも思えません。
なので、自分が意識していない間は良いのですが、違和感を感じた時から相手に対する疑心が生まれます。
その疑いの心は自分を守るために生まれたものなのですが、モクモクと大きくなっていくほどに、その疑いの心に自分の心が振り回されてしまい、相手に対する心のドアにロックがかかってしまいます。
「できなくてもいいよ」「うまくいかなくていいんだよ」
そんな風に言葉をかけてもらえてたら、転んだ手のひらに何かを掴んで立ち上がれる子になれたかもしれないですよね。それが葉っぱ一枚だって、小石だっていいんです。
見守ってくれる人、声をかけてくれる人、間違ってるって言ってくれる人、一緒に笑ってくれる人、共に泣いてくれる人、そんな人が一人いるだけで、凸凹の自分でもいいんだって思えるんですよね。
やりたいことがあるなら仲間を作ろう。
やりたいことがないなら話せる友達を大切にしよう。
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風と運と氣と
「ある」のに見えないモノがあります。
確かにそこに存在しているのが私たちには分かっているのに、私たちの目には映らないという、たったそれっぽっちの理由で「信じる」とか「信じない」とかの話になったりします。
前に見えないモノの正体をいくら頭で理解しようとしても、それは理解するものではなく感じるものなので、それ以上の説明のしようがありません。
感じるためのアンテナは、人によってその品質も感度も差がありすぎます。
そのため、受け取れるものの種類も大きく違ってきてしまいます。
例えば、風を感じることができる人は、風が何かを知っています。
例えば、運が何かを体験した人は、運が上がったり下がったりすることを知っています。
そして例えば、氣というものをエネルギーとして知覚できる人は五感を超えた感覚を通じてその質を知っています。
それらは常に一定を保つことなく、ゆらゆらとたゆたうように、揺れるように留まることなく緩やかに流れるように動き続け、変化し続けています。
それらは私たちの世界に、何氣ない日常に、無くてはならないモノです。
まるで水のように形がありながら、形を留めないものです。
それをある人は、愛や神と呼ぶかもしれません。
それが「何か」と説明できることが重要なのでは無く、それがあるから私たちの幸せは支えられていることを知ることだと思っています。
子どもの笑顔や、誰かのふとした優しい仕草さや、美味しいと感じた食事の中に、それらはいつもあり続けてくれています。
変わらない存在を、変わり続けるモノの中に見つけました。
あなたを幸せにするためのものは、アナタの中に、あなたのまわりにたくさん溢れています。
あなたが全てを手に入れられますように。