MBAエッセイ対策
MBA受験でスコア・メイキングがある程度できてきたら、エッセイに取り組みます。これは大学受験の2次試験のようなもので、人気の学校であればあるほど、スコア・メイキングは足切りにしか使われず、エッセイがより大事です。十月頃から、エッセイを書き始め、12月から1月頃に複数の学校に提出しました。
エッセイはスコア・メイキングよりもずっと楽しいプロセスでした。海外の人は自力でエッセイを書いて提出する人も多いですが、日本人は、英語をブラッシュアップするために塾を使う人も多いです。私も塾に頼ることにしました。
MBAエッセイ対策の大御所
株式会社インターフェースのデバリエ先生が一番良いという評判を聞きました。当時の上司がMBAホルダーだったので相談すると、「高額な費用、きつい言葉など難しい点もあるものの指導の質は最高」と太鼓判をおしてくれました。
ただ、デバリエ先生は人気なので、希望しても担当してもらえないこともあります。最初の電話面接で指導してもらえるか決まります。
デバリエ先生との面接では、志望校を聞かれました。ヨーロッパのトップMBA3校以外には興味がない、と答えました。すると、私の答えが生意気すぎたのでしょう。「トップ校に限らずとも、あなたが実力をつけられる学校はたくさんある」と挑戦的に言われました。
噂通りキツい言葉きたな、と思い、覚悟をきめて、「その通りだと思います。でも私はただMBAが欲しいのではありません。卒業後、ヨーロッパでの海外就職を目標とした留学です。私にとって良い学校だったとしても、企業からみて良い学校と思ってもらえないと意味がありません」と答えました。
私にとって、MBAは、海外就職を手に入れるという目標を持っての留学でした。何となく海外に行きたいとか、資格を持っていれば潰しが効きそう、というような曖昧な目標ではありませんでした。こういう気の強い返事が気に入ってもらえたのか、翌週からデバリエ先生に担当してもらえることになりました。
エッセイ指導開始
平日は愛知県で仕事をしていたので土日に受講することで、週末東京へ通い、直接会って指導を受けたいと思っていました。とても高い費用なので、そのほうがいいと思ったのです。ただ、デバリエ先生の時間が空いているのは水曜日の午後三時のみでした。有給を使ったり、フレックス制度を使ったりして、自宅で授業を受けました。東京にいるデバリエ先生とはスカイプでの授業となりました。
1回目の授業の前に、宿題が出されました。志望校(ドリーム・スクール)と滑り止めの学校(リアリスティック・スクール)をいくつか調べ、それぞれの学校のエッセイ課題、推薦文の課題、締め切りを一覧にまとめるように、と。
この作業では、『ビジネスパラダイム』という欧州のMBAに特化した予備校のウェブサイトが便利でした。
デバリエ先生は、私が選んだMBAの学校一覧の中から、IESEのエッセイを最初に書いてみよう、と言いました。第一希望ではありませんでしたが、IESEの締め切りが早かったです。また第一志望のエッセイは少し慣れてから書いた方が良いとのこと。MBAのエッセイで聞かれる内容は、質問のかたちは違うものの、書く内容はそんなに変わらないからです。
IESEのエッセイを最初に自分で書いてみて、デバリエ先生に送り、スカイプで話しながら、私が何を言いたかったのか口頭で説明しました。その授業の直後、デバリエ先生から修正版のエッセイがメールで送られてきて、素晴らしいできに感動しました。
高い費用は無駄ではないと実感しました。単に英語がブラッシュアップされるのではなく、私のストーリー自体がよりポジティブな表現を使うことで、ずっと前向きに書かれていました。
2校目以降の効率的なエッセイ指導
IESEの次は、すぐに第1志望のINSEADとLBSのエッセイに取り組みました。いくつか新しい質問もありましたが、基本的にはIESEのエッセイからのコピー&ペーストでした。
デバリエ先生とのやりとりも、IESEのときは、エッセイと推薦文で2回授業を要しましたが、1回の授業で、1つの学校のエッセイと推薦文を一気に片付けられるようになりました。
高額な費用なのでスカイプではなく、直接会って授業を受けたいという思いも概ね杞憂でした。先生の費用は時間制ですが、その多くの時間は、打ち合わせではなく私の書いた原案を先生が書き直す時間に使われるからです。
奨学金
MBA受験を決心してから半年で第一希望のINSEADから合格通知を受け取れました。
LBSも同じくらい第一希望でしたが、面接で落ちました。デバリエ先生は、LBSはロンドンの中心で生活費が高く、その環境を楽しめるのはファカルティだけだ、INSEADのほうがDiversityなどの観点からも良い学校だ、と言ってくれました。INSEADが良くないのは、1年制のシステムで慌ただしい点のみだ、と。
INSEAD合格後、学校が支援している奨学金にも申し込みました。そのうち、パリにあるギャラリーラファイエットというデパートが出資する女性向けの奨学金をもらえることになりました。
私が奨学金をもらえるようになったギャラリーラファイエットは、CEOがINSEADの卒業生で、女性に顧客の多いデパートであることから、女性限定の奨学金を1クラス1名募集していました。自分の出身国におけるデパートのマーケティング戦略を書いて提出することが課題でした。
このエッセイもデバリエ先生に修正してもらいました。MBAの学費の15%にあたる130万円(返さなくて良いもの)を、奨学金のおかげで受け取れました。デバリエ先生に支払った授業料はこの奨学金で黒字となったと思います。
因みに、ほぼ全てのMBAの学校はScholarshipという項目をHPでもうけています。その学校から合格通知をもらった後に調べれば大丈夫です。多くは発展途上国出身者限定だったり、起業家限定だったり、応募に条件はあります。
でも、先進国である日本人は、奨学金はもらえにくい、とあきらめるのはもたいないです。不利なのは事実ですが、日本人の男性、しかもゴールドマンサックス出身と、奨学金をもらえそうな要素は何もない友人がいます。彼は、ケンブリッジのMBAから奨学金のオファーをもらっていました。彼のように優秀で、学校が是非この生徒に来てほしい、と感じていることも奨学金をもらえる要素の一つのように思います。
デバリエ先生の思い出
MBA受験をとおして、一番感謝しているのは背中を押してくれた夫です。その次に感謝しているのがデバリエ先生です。デバリエ先生との出会いは、10年経った今でも、懐かしい思い出です。噂で聞いていたとおり、怖い面もありましたが、それも人間らしさのように感じました。
私より約十年前にデバリエ先生の指導をうけてコロンビア大学に留学された佐藤智恵さんの『ゼロからのMBA』という本には、デバリエ先生の優しい人柄が描かれていました。佐藤さんは、年賀状をデバリエ先生からもらい、そこには「君が合格しなかったら授業料は全額返す」と書かれていたそうです。
私はそんな年賀状はもらえませんでしたが、先生にクリスマスカードを送るととても喜んでくださって、面接対策の授業で、エレベーター・ピッチ(1分での自己紹介)を私のために作ってくれました。