25日間フィビヒチャレンジ!21日目
今日はフィビヒのお誕生日ーーー!
1850年12月21日、プラハから南東方向に離れたヴシェボジツェ村(※今日プラハとドレスデンの間くらいにあるヴシェボジツェとは別の場所)に生まれたフィビヒ。19世紀後半に音楽を志したフィビヒの作品が、21世紀に東洋の小さな島国でも奏されているというのは、程度の差こそあるかもしれないけど本当に運命はわからないと思います。生誕170年おめでとうございます!(なお今年は没後120年でもあります)
さて、今日の曲はこちら:
全音24曲目(Op.41-Ⅱ-6)。以前少し書きましたが、アネシカの身体のパーツを描いた曲のひとつです。解説によるとこめかみを描いているのだそうで…。こめかみってこめかみだよね?というのが私の正直な気持ちですが、例えば若いアネシカのクルクルと変わる表情、揺れる髪、それを優しい視点で見ているフィビヒ、その時間はとても甘く…みたいなところまで考えるといいのかなと思います。どんな細かな要素、パーツまでも愛おしい時期ってある…みたいな気持ちはまあわからないでもないです。
さて、フィビヒお誕生日なので青年フィビヒの作品を一つご紹介するのと(私の演奏ではありません…後述)、一部過去に書いたものと重複しますがフィビヒの若い頃のことを少し書きますね。
ご両親は、父Janが今日のウィーンにある森林官の学校に通っていたときに出会ったのだそうです。以前にも書きましたが母Marieはウィーン育ちのドイツ語話者でしたので、チェコ語ードイツ語のバイリンガル環境で育ったことになります。フィビヒは幼年期をヴシェボジツェの森に囲まれて過ごしました。森、森の中の孤独は、フィビヒにとって生涯通じインスピレーションの源となったそうです。またフィビヒは蝶の採集が趣味でしたが、それももしかしたら幼年期の環境あってこそかもしれません。(また、引っ越しや旅行で移動が多かったこともあってか、鉄道が好きだったという話もあります。)
9歳で学業のためウィーンへ。母方の親族のお世話になったようです。その3年後にプラハに移りギムナジウムに学び始めた頃から、専門的に音楽の先生について勉強するようになります。15歳頃から作曲に集中するようになり、この頃既にOp.1のピアノ曲「春」を作曲しています。
この「春」、録音では知っているのですが、残念ながら楽譜を見たことがありません。もし楽譜があったとしたら今回週末枠で取り上げてみたい曲の一つではありました。というわけで、私が知る限り唯一の「春」の録音をシェアして今日は終わりたいと思います。プラハに限らず、特に緯度が高い方に住む人たちはみんな春を心待ちにしていると思いますが、待ちに待った小さな春の輝きが次第に大きくなっていく様子と、若いフィビヒの姿が重なるような気がします。(ちなみに40代以降の写真ばかり出るフィビヒですが、若い頃はなかなかのイケメンだったと言えます。)
Tomáš Víšekの演奏で:
それではまた明日!