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25日間フィビヒチャレンジ!8日目

 全音7曲目(Op.41-Ⅲ-38)。不安、迷い、心配事、何かを深く考えて、心細さにその歩みは時々止まってしまいそうになるけれど…
 オペラのアリアに転用されたこのメロディ、実は一日目に取り上げた曲にも出てきますし、全音の楽譜でこの曲の次に掲載されている8曲目(Op.41-Ⅲ-39)にも長調になって出てきます(ところでごめんなさい、このOp.41-Ⅲ-39は割愛の予定、明日はその先に行きます)。

 さて、きっとどんな作曲家にもその人らしさ、その人の作品の特徴みたいなものがあると思います。この感じシューマンぽいな、この展開ブラームスらしいな、この和音とテクスチャーいかにもプロコフィエフだな…みたいなことを言うこと、きっとあると思います。
 そして、チェコの作曲家と聞いたときにどこかでスメタナの叙情性とダイナミックさ、ドヴォルザークの素朴なリズムとボヘミアらしい歌を期待してしまうところ、どこかにあるのではないかと思います。
 …なので、フィビヒがチェコの作曲家と聞いて、なんとなくその感じが薄いこと、どこか立ち位置がわからないような気になる方、きっといらっしゃると思うんです。

 フィビヒの生涯その他についてはWikipediaでもかなり詳しいのでそちらにお任せすることにして、
 フィビヒの母親はウィーン生まれ(ドイツ語話者)、フィビヒ自身も幼年期の数年と青年期の音楽修行時代をボヘミア(チェコ)域外で過ごしています。スメタナ音楽塾などに学んだのちにライプツィヒ音楽院に進み、パリ、マンハイムと移り住み、その後プラハに永住したそう。このボヘミア域外に暮らし、学んだ経験がフィビヒのスタイルに大きな影響を与えたと思われます。ただ私はそれが全てだとも思いません。フィビヒの場合はベースはロマン派的かもしれませんが、その上に非常にゆるやかに他の要素を溶け込ませていっているように思えるのです。その要素とはチェコのリズムや歌だったり、また他の国のスタイルだったりするかもしれません。一舐めして良薬とわかる苦味(≒個性、その人らしさ)はすぐに感じられるものではないかもしれませんが、抒情、郷愁、気分、印象、思い出(?)、色々な色が一瞬で予測不能に滲み出てくる黄昏色の音の絵の具を、フィビヒは持っていたのだと思います。ただその絵の具を上手く使えたり使えなかったりだな…という感じは正直しますが、根の真面目さ、素直に音楽を書き留めたい気持ちを強く感じます。

 はあ、今日は少し長めに書いて疲れました!それではまた明日。

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