人と比較し続けた人生から解放された今日までのこと【11】
33歳の今、人と比較することを辞める術を見つけて、人生で1番体が軽い。
今日までのことを、ここにつらつらと書いていこうと思う。
【1】はこちらから
仕事は軌道に乗った。
人付き合いが得意ではない私は、多少苦労することはあったが、私は確かに何かを掴んでいる実感があった。
私に可能性を見出してくれた上司に恵まれ、昇格することもできた。
同い年の女性の平均からすると、人並み、よりも少し高い給料も手にすることができた。
そして、またも同期にも恵まれた。
彼女はとても尊敬できる努力家で、どこまでもフラットな人だ。
自分に必要なものだけに囲まれ、それらをとても大切にしている彼女はとても眩しく見えた。
彼女は独立し、退職する時に「(私)さんと働けたことが誇りだ」と言ってくれた。
とてつもなく、嬉しかった。
そしてさらに、嬉しいことがあった。
私には昔から大好きな雑誌があった。
そこに、いつか自分の作り出したものが載ったら良いなと夢を描いていた。
それが叶ったのだ。
自分の立ち上げたブランドが、小さいながらそこには載っていた。
私はその雑誌をとてもとても大切にした。
雑誌やテレビなど、メディアに関係する人との関わりが増えるにつれ、インフルエンサーと呼ばれる人と出会う機会も増えた。
ある日、そんな人たちとの集まりの中で、その話をした。
私が夢見ていた雑誌に、企画したブランドが載った話だ。
「その雑誌で!?」「やだ、かわいい」「もっと大きな夢持ちなよ」と口を揃えて皆が笑った。
彼女たちにとっては、聞いていて恥ずかしい内容だったようだ。
気分が高揚していた私は、姉にも話してしまった。
メディアによく出ている姉は「よかったねー!私は先日芸能人の◯◯と番組を組んだよ」と返事をした。
私の仕事とは、規模が全く違っていた。
この人達にすれば、嫉妬を感じるような自慢に聞こえたわけはないだろうから(いつもメディアに出ている側の人たちなので)
受けた言葉は本心なのだと思う。
「何故か、私の宝物は誰かに踏みつけられることが多いな」と思いながら、頭の中で踏みつけられて付いた埃を払った。
今度は、画材の時のようには捨てなかった。
この頃の私は、躁鬱の治療を続けていて、鬱状態になるたびに親友が助けてくれていた。
私は大事な友人たちと仕事に恵まれ、少しずつ大事なピースを集めて着実に歩き始めていた。
しかし、なんてことないことでそれら見失うのだ。
それは本当にひょんなことで。
私の心によって。
結婚と婚活
姉が結婚をした。
それだけでも正直なところ動揺するのだが、何よりも驚いたのは「あの宗教」に入信している家に嫁いだことだった。
家族がバラバラになった時も
母親が帰ってこなくなってからも、
「その一つの敵」が私たちをどこかで結びつけていると思っていた。
彼女は言った。
「私はもちろん入信しない。だけど、彼や彼の家族が悪いわけでもない。
母もそう。人には人の必要なものがある。
全てを含めて、この人を選んだの。」
彼女は天使のように、幸せそうに笑っていた。
敵はいなかったのだ。
私は空想の敵と戦っていた。
私は、何と戦っていたんだろう。
なんて、小さな人間なのだろう。
私が愛する人を失ってまで手に入れたかったものはなんだったのだろう。
優しく微笑む彼女を見て、魂のレベルから私とは格が違うのだと思った。
彼女とは、ぶつかることが多かった。
酷い言葉を投げることも、投げられることもあった。
それでも、仲が良い時間もたくさんあった。
彼女はいつも正しく私を導いた。
時にその正しさが私の心を抉ったが、彼女は私に勉強を教え、面倒を見た。
迷った時には相談に乗ってくれた。
誕生日にはいつも「大好きな妹へ」と祝いの手紙をくれた。
それなのに、私はおめでとうの気持ちと共にこんなにも複雑な思いでいる。
頭がおかしいのではないだろうか。
だから、人に愛されない。
だから、私は結婚もできない。
もう、どうしようもない人間だ。
またも自分に嫌気がさしてきて、体がバラバラになりそうになる。
私の悪いところだ。
急激にダメなところしか見えなくなっていく。
さらに、父が追い打ちをかける。
姉の結婚報告を受けた直後のお盆休み、私は実家に帰った。
父は何故か、ときより兄妹の年収を発表する悪趣味を持っていた。
それが行われたのだ。
その発表によると、
姉は、私の倍。
兄も私より稼いでいた。
努力してきた量が違う、だから姉が稼いでいるのは当たり前に思った。
それでもちょっとだけチクっとした。
兄は?
実家のことを長年放ったらかし、好き放題し借金を親に肩代わりさせ、30代までフリーターをしていた兄があっという間に私を抜いていた。
肩書きは「専務」になっていた。
父は兄を誇らしそうに褒め称えた。
「妹は、末っ子だから仕方ないな」
幼い頃から言われ続けたこの呪いが、また、私の元に帰って来た。
どう足掻いても、私の努力はこの家の中では無いものになるのだ。
やっと、平均年収よりは高くなったと喜んだ矢先、またも「何もできない末っ子」の烙印を押されてしまった。
ただただ惨めだった。
私なりに、この数年間必死にもがいてきた。
どの仕事も真面目に取り組んできた。
その時間はなんだったのだろう。
そして何よりも、姉の結婚も、兄の昇格も「おめでとう」で済むことが、こんなにもうまく受け止められない。
その心の狭さが、何よりも惨めだった。
姉に「本当にすごいね、すごい頑張っているんだね」と伝えた。
姉は「東京にいるなら、世帯年収3000万はないとまともに生きれないからね」と言った。
3000万。
全く足りる想像がつかなかった。
私は「まともな生活」すら手にできない場所にいるのかと、血の気が引いた。
たしかに、貯金もなかった。
SNSから見る限りは、順風満帆に仕事をしていそうな私だったが、蓋を開けてみればおままごとのような暮らしだったのだ。
そこから私は焦るように、婚活をした。
世帯年収が3000万になるように、必死に相手を探した。
うまく行かなくて、顔に何度も修正を入れた。
結局容姿が悪いのではないかと考えたのだ。
もちろん、その分お金がなくなり預金残高を見て頭を抱えた。
またも自分が自分を追い詰めていた。
そんな精神状態の人間に近寄りたい人はなかなかいないはずだと、俯瞰すれば分かるのに
「手っ取り早く効果が見えるもの」に依存していた。
そんな中、奇跡的に条件に当てはまり私をよく思ってくれる人もいた。
でも、結局うまくいかなかった。
そんな理由で人のことを愛せるはずもなかった。
私はいったいどうすれば幸せになれるのか。
何が幸せなのか。
結局また分からない日が続いた。