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人と比較し続けた人生から解放された今日までのこと【完】
33歳の今、人と比較することを辞める術を見つけて、人生で1番体が軽い。
今日までのことを、ここにつらつらと書いていこうと思う。
【1】はこちらから
私は、またもや転職活動をした。
それがこの日記を書くきっかけとなった。
「世帯年収を3000万以上にしなくてはいけない」
「それ以下はまともな暮らしではない」
姉の言葉が私を焦らせた。
婚活でハイスペックな人を探しながら、同時並行でもっと給料の良い仕事を探した。
今勤めている会社に、やや飽きが来ていたのも事実だ。
あれだけ私が「守りたい」と思って入社した会社も、配置転換でパワハラ気質の上司にあたり少し嫌気がさしていた。
誰もが知る大手カフェチェーンで、グッズのプロダクトマネージャーを募集していた。
超大手で、給料も上げられそうな求人内容だ。
私の学歴で受かるはずもないと思いながら、一応、応募した。
なぜか、トントン拍子に話が進んだ。
通過の連絡が来るたび、「嘘でしょ?」と思った。
最終面接に向けて、私はまたプレゼン資料を作成することになった。
春に向けた新しいグッズの提案だった。
そこまで進めたことを信じられないと思いながら、私はペンとノートを出して、作業に入った。
だが、筆は思うように進まなかった。
頭というより心がフリーズしていた。
知識と経験から書いてみるものの、心が入っていない。
今の会社に入る時に、未経験で錆びた頭を抱えて作った企画書の方がよっぽど良いものに思えた。
全くワクワクしない。
何故か。何故こんなにもつまらなく感じるのだろうか。
誰もが憧れる一流企業だ。
世界中で知らない人はいないブランドだ。
そこでプロダクトマネージャーになれる可能性があるのだ。
それなのに何故だ。
私はノートに、自分の心にあるものを全て書き出した。
何故、今私は転職をしたいのか。
何を手にしたいのか。
何を成し遂げたいのか。
大きな紙に、ひたすら書き出した。
私の心の底がどうなっているのか。
私が大事にしたいものは何なのか。
何時間も書き続けた。
自分と向かい合った。
行き着いた答えは一つだった。
私は「一流企業に勤めている」という看板を、家族に認めてもらいたかっただけだ。
33年間、自分の人生から目を背け続けたら
こんなにも子どもじみた答えになったのだ。
驚いて、なんだかもう、笑えた。
誰かにこちらを見てほしい一心で、
誰よりも、私が私を見ていなかった。
私は私を育児放棄しすぎたのだ。
私は、企画書を作るのを辞めた。
完成されたブランドの中の企画の仕事には、正直心が全く踊らなかった。
私は、
小さいながらも職人が伝統技術を紡いでいる今の会社のような仕事がやはり好きなのだ。
どうにか大きくしていきたいのだ。
うまくいかないこともある。
腹の立つ上司もいる。
仕事はたまに飽きる。
チームのメンバーにイライラする日もある。
ネームバリューはない。
それでも愛おしさがある。
ブランドネームの看板はたしかに眩しい。
それでも、私がほしいものではなかった。
それが答えだった。
対応していただいた人事の方に丁寧に詫びて、選考を辞退した。
婚活のサイトも全て削除した。
気分は晴れやかだった。
今まで生きてきて、1番体が軽い。
私は、人の物差しを使って
私の大事なものを測りその価値を決めてきた。
そして多くのものを手放してきた。
愛する人もこの手で突き放し、
大好きな仕事も辞めた。
画材も全て捨てた。
自分の顔も何度も捨てた。
そんなことはもうしてはいけないのだと、
33年も生きてきてやっと分かったのだ。
私は初めて、自分の物差しで自分の心にぴったりのものを、自分の手で選んだ。
私が敵だと思っているものは、私が作った架空の敵だった。
姉でもなく兄でもなく、宗教でも両親でもない。
「人に認められたい」
「人に追いつきたい」
その承認欲求に狂う私の心が敵だったのだ。
誰かを真似ても、誰かにはなれない。
誰かに言われて大事なものを捨てても、その責任は誰も取ってくれない。
この世の全員からは一生認められない。
仮に私の年収が3000万になっても、それ以上の人を見て焦り、それ以下の人見てどうにか自分を宥める生活をするのが目に見える。
それは幸せなのだろうか?
きっとまた、手にできていないものばかり並べて自分に絶望することになる。
今日だって、貯金は全然ないし結婚もできていない。絶望はすぐ側にある。
一歩間違えればまた奈落に落ちる可能性は大いにある。
それでも、今日私の手の中には、私の大事なものが確かにある。
私のことを大事にしてくれる人たち。
私のことを誇りだと言ってくれる友人。
接客業のころお客さんや同僚にもらったたくさんの手紙。
憧れの雑誌。
あの店に飾られた小さな絵。
いつだって支えてくれる大切な友人たち。
私は、私の大事なものを大事にするためにこれからの時間を使わなくてはいけない。
そして、その価値を分かってもらえない人に、その大事なものを披露したり認めてもらおうとする必要もないのだ。
私なとって大事なものだけを持ったら、こんなにも体は軽かった。
100人に嫌われたって、たった1人笑ってくれたらそれでいいじゃねぇか。
私の部屋のプロジェクターに移ったエガちゃんが、そう叫んでいる。
人と比べ、人に傷つき、
大事なものを見失い、
自分の人生から目を背け続けていた。
だから、この日記を書ける私がいる。
それは私にしかできない。
かなり遠回りの人生になったように思うけれど、多分これが私の最短距離だったのだと思う。
あとがき
ここまでお読みいただいた方に、心よりお礼申し上げます。
稚拙な文章で読みづらい点が多々あったかと思います。
私が躓いてきた石は、人から見るととんでもなく小さいかもしれません。
若輩者の私には、それはとても大きかったのです。
このようなタイトルではありますが、
これからも、人と比べてしまうことはあると思います。嫉妬もまた、人間の自然な感情なのでしょう。
そんな時にまた、大事なことを見失わないように、この日記をここに残しておこうと思います。
ひとまず、「人と比較し続けてきた人生から解放された今日までのこと」は、これにて終わりますが、これからもこの場所で、いろんなことを書いていくつもりです。
もしよろしければ、お付き合いください。
ひとまず、お礼のご挨拶とさせていただきます。