見出し画像

人と比較し続けた人生から解放された今日までのこと【3】

33歳の今、人と比較することを辞める術を見つけて、人生で1番体が軽い。
今日までのことを、ここにつらつらと書いていこうと思う。

【1】はこちらから




高校生なり、絵に描いたようなギャルになった。
ギャルは良い。
もともとの顔の造形がほぼ分からないのだ。

時代的な背景もあり、ギャルになってから、異性でも同性でも「可愛い」と言ってくれる人が現れた。
人生で初めて容姿を褒められ、それがこんなにも嬉しいことなのかと涙が出るほどだった。
片目に4枚ずつ付けたつけまつげが、私の目の原型と自信のなさを隠してくれた。

せっかく私のことを誰も知らない街に来たのだからと、性格も一変させた。
明るく人懐っこく、おちゃらけて、自虐ネタを言ったりした。
「姉のように明るく社交的な人」の仮面を上手に被ってみせた。
見た目も中身も、道化師のようだった。


学校で私を蔑む人はいなかった。
どちらかというと、好意を持ってくれている人が多いように感じることさえできた。
成績は241名中、238位だった。
それすら皆が笑ってくれて、それで良いと思った。

ただ、突然猛烈に死にたくなることがあった。
道化師の自分と、それに付いていけない自分が反対方向に走り出して、体がバラバラになりそうな感覚が度々あった。
今思えば、この頃から躁鬱のような症状が出ていたように思う。(かなり大人になってから、本格的に治療することになる)

私の痛々しい腕に気付いた姉は「悲劇のヒロインごっこおつかれ(笑)」と言葉をかけ嘲笑した。
私は自分を恥じた。
母は不思議な呪文を唱えるのに無我夢中だった。


姉は変わらず輝かしい学校の制服を身につけ、綺麗に身なりを整えていた。
中高一貫の有名私立に通っていた姉は、生活はそこまで変わることもなく順調そうに見えた。

友人が多いこと、部活の仲間が最高の友であること、勉強を頑張っていることを祖父母や母に楽しそうに話していた。
母は呪文を唱えていた。

私と姉は同じ家にいるはずなのに、それを感じるところはひとつもなかった。
ただ一つ、姉と私の中の唯一の共通の話題であり、仲間意識を感じられたのは母の宗教への嫌悪だった。
それだけが私と姉を結びつけていた。

私は全てを忘れるように、ただただ毎日夜中まで遊び続けた。
週に7日アルバイトをして、夜はカラオケボックスに住み着いていた。
夜中のドン・キホーテも、立派に似合うようになっていた。

姉は私を一層恥ずかしがり、祖父母は私に呆れていた。
母は私がどうにか良くなるよう願い、呪文を唱えていた。

高級住宅街にいた頃の友人が、SNSで「(私の名前)が、下品になってるらしい、笑える」と呟いていた。

私が高校2年の終わり、姉は国公立の大学に進学を決めた。
私はどこの大学にも行けなさそうであることを知った。

いいなと思ったら応援しよう!