人と比較し続けた人生から解放された今日までのこと【6】
33歳の今、人と比較することを辞める術を見つけて、人生で1番体が軽い。
今日までのことを、ここにつらつらと書いていこうと思う。
【1】はこちらから
2社目の会社には6年近くいた。
家族には認められなかったけれど、仕事の内容は大好きだった。
同僚や上司にとても恵まれ、お客さんにも恵まれた。
遠方から私に会いにきてくれるお客さん、手紙を書いてきてくれるお客さん。
慕ってくれる同僚。
全てが宝物だった。
お客さんにもらった手紙は、今でも何よりも大切に、私しか知らないボックスにしまってある。
3度目の転職
28歳で、私は3度目の転職をした。
東京にいくことを決意したのだった。
私は、昔から自分で事業をやってみたいとうっすら思っていた。
それは父の影響だった。会社を営む父の姿は、かっこよかった。
10代の時に一度、事業計画書を作成して父に提出したこともあった。
全く相手にはされなかったけれど、遠い昔に母から言われた「もしかしたら、働く上では姉より妹が勝るかもね」その言葉に縋る思いで、挑戦をしてみようと思ったのだ。
まずはそのために、ビジネスのいろはを学ぶべくコンサルとPR業を営む会社に入ることにした。
世の中の商品やサービスがどのように生まれ、どのように世に出るのか、勉強しなくてはいけないと思ったのだ。
ちなみに、なぜ未経験でその業界に就けたかというと、小さな会社であったことと、私が道化師だったからだと思う。
人から好かれる人を演じることができた。
相手が何を求めているかを把握し、口達者に話すことができた。
面接で落ちることはまずなかった。
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この時には自分で気がついていないが、今ならわかる。
心の奥底には、それ以上の理由があった。
それは、人に、家族に認められたいという思いだ。
いくら私が好きでも、好成績を出しても、接客業では認められないことを重々理解していた。
やっと落ち着き実家に帰ってきた兄が、すぐに家業の次期社長の席についたこともあった。
この家で私だけがキャリアの先がないのだ。
居場所がないのだ。
自己否定から逃れられなかった。
自分自身が誰よりも自分を認められなかった。
私は姉のように、東京でキラキラと頑張れるだろうか。
私は姉のようになれるのだろうか。
不安と僅かな自分への期待を胸に、1人東京行きの新幹線に乗った。