自分のことが分かってきたような気がした雨の日のお話し。
あんまり深く考えずポヤポヤ〜っと生きてきたから、子供にもそんなにとやかく勉強しろだの本を読めだの言ってこなかったのが仇となって戻ってきたのか。
子供の学習の伸び悩みに悩む母。気持ちが落ちております。
認めたくはないがこれは自分を責めている。まだ手遅れではない、と分かっていてもどう取り戻していいか分からない。。。
気持ちが落ちて家に居たくなかったから、雨の中、今日でなくてもいいのに歯医者に保険請求の書類を持っていくことに。
不思議と気持ちが落ちていると雨がじゃじゃ降りになっても気にならない。
なるようになるし歩いていればいずれ着く。とりあえず目的に少しづつ近づいている訳で。
悩みはイライラを制御する力があるらしい。
世界中の人が悩んだり落ち込んだりしていればきっとこの世は平和なのかもしないな、と黙々と歩いていると、スニーカーの中は歩くたびに靴下と一緒にグシュグシュっと音を立て、ジーパンのすそはどんどん重くなっていく、それでも気にならない。
子供の学力の心配から、自分が子供の頃はどうだったかなと思い返して、そこから若かりし頃の事を回想し始める。
パッパラパーで、本当に何も怖いものがなかったあの頃。
思った事を考えなしに口にしてたから、知らないうちに廻りを不快にしたり、傷つけたりしてただろう、のあの頃。
それでも、こうやって生きてるし、家庭も持って3人の子育てもしてるし。
一生懸命、自分に正直に生きてたらどうにかなるもんなんだな、と何となく気持ちが上がってくる。
そんな回想を続けているうちに、何故だかふっと貯金を貯めては海外へ旅行に行っていた独身の頃を思い出した。
節約のために成田エクスプレスやリムジンバスを使わず、スーツケース押して地下鉄と京成線を乗り継いで、チェックインのどえらい前に家を出て移動してたな、私。
若さって強い。
そういえば、まだあの頃はスーツケースの制限重量がなかったから(恐らく)すっごく重くて、混み混みの電車から出るのに四苦八苦してたら、
後ろから来たおじさんが何も言わず手伝ってくれてもの凄く助かったけど、おじさん、自分のアキレス腱にスーツケースぶつけて痛そうにしてたけど風のように去って行って、あれ凄く痛かっただろうな〜😓😓😓
と、そこからまた回想が飛んで、アメリカのネバダ州のリノからドメスティックフライト乗り継いでサンフランシスコ~日本へ戻る道のりにも沢山いろんな人が助けてくれたな〜と思い出す。
リノ~サンフランシスコ線は席が決まってなくて、乗り継ぎに間に合うように前列座ろうとしたら、ほぼ埋まってる中でぽっちゃりした白人の奥様2人が荷物どかして「ここ、座んなさい」って勧めてくれてかなり助かった。
で、
サンフランシスコに着いたらバートっていうバスに乗って空港まで行かなきゃいけないの全然知らなくて、誰も知ってる人なんかいないし、英語もさほど話せず、スマホもなければ携帯電話すらない、挙句に切符を買う小銭すら足りない、
文字通り途方にくれていたあの時、
ガラーンと誰もいなくなった後に声をかけてくれた青年。恐らく「あの子どうするんだろう?」と暫く遠くから見ていてくれたんだろうな、きっと。
サンフランシスコ空港にやっと着いたと思ったら最終コール終わってて、カウンターのスコットさんが(今でも名前を覚えてる)、一緒にオールエスコートで搭乗口まで駆け込んでくれて、(セキュリティでスコットさんの靴が引っ掛かるという珍事件もあったり)無事に日本まで戻れた事もあったな~。
どんな場面でも困っていたら必ず誰か一人は助けてくれる人がいる。って思えるようになった。
実際本当にそうだと思う。
そして、今度は私が誰かの為のその一人になろうって自分でも気づかないうちにpay it forward の精神になってたんだな。
あんなに自由奔放であまり人の気持ちを気にせずものを言ってた私が、
「より深く相手の気持ちを知りたい」と思って遅咲きながらも心理学を学ぼうと決めたルーツはきっとここからきてるんだな、と雨降りの中歩きながら今更ながら気づいた。
あの頃はスマホもなければネットもない、そこら辺にいる人に助けて貰えないと全く動く事ができなかった。
窮地に立たされた時ほど、人の優しさが身に沁みる。
次は私の出番。
人生のUターンに入ってやっと、自分のことが分かってきたような気がした雨の日でした。
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