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喜びの沸点が低すぎる件

前の記事でも書きましたが、息子は「のんびり屋」です。

マイペースで日々成長している最中で「小児がん」「神経芽腫」「長期入院」という大壁にぶち当たることになった。

周りと比較すること・同世代は保育園などの集団生活できてる
なのにうちは、毎日病院・周りができることができない・治療や薬ばっかりで後退していると思わされる。

だから・・・・

ほんの少しの達成・できたことで大はしゃぎ

自分でご飯食べれた→拍手喝采
着替えれた→大喜び
薬飲めた→拍手喝采

入院になってから喜ぶ基準が最低ラインをさらに下へいった。

本退院後、家での生活になってもそれは変わらず低いまま。

・トイトレできなかった→トイレいけて拍手(大小関係なく)
※今はもうお手の物

・言葉もなかなか出ない→退院後の生活で入院中の比じゃないくらい会話
周りと同じようにはいきませんが、格段に言葉増加した
※ジェスチャー+会話でOKスタイル

・集団生活開始→制服着れてえらい、登園できて偉い!!
※最初は服着ない・行かないと駄々こねたけどね

・保育園以外の集団生活の活用
これは「療育」です。詳細は伏せますが、同年代との生活・スタッフや友だちとのコミュニケーションで成長を促す。
※本人は楽しんでるみたいで、「●●くん」「●●ちゃん」と友達の名前も言うまでに、成長しているのが目に見えてわかってくる。

確かに周りより遅いかもしれません。
できないことが多いし、できて当たり前のことがうまくいきません。

当たり前が当たり前じゃない世界を見て経験して、「あって当然」「できて当たり前」ができなかった日々を知るからこそ、喜びが周りより大きく、喜ぶ基準が低いのです。

「そんなことで!?」と見えるかもしれないですが、「そんなこと」が自由にできなかったし、許さないときを過ごしてきました。
生きてることすら危うかったから、できたことが嬉しいし、「普通に生活」できたことが奇跡でした。

「喜ぶ基準」を下げることで、「達成感」というところでいえば、同じように感じることができたし、喜べれば明日への活力にもなったので、やってよかったと今も思っています。

今できなくても、親がいなくなったときや一人でやるしかなくなったときに、本当にできるようになってくれればいいと思ってます。

全部一人でともいかないですし、そんなときに自分の声で「助けてもらう」「集団で解決」などできれば、世の中を生きていけます。

そして「ありがとう」と言えれば、どうにかできると思ってます。

本当に生きててくれてありがとう

息子の制作物たち

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