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コミュ障で社会に適応していない私が今までの人生を振り返る壮大な自分史(26)

私は現在とある個別指導塾の教室長をしております。

昨年は集団塾の正社員として、それまでは今勤めている塾でアルバイトとして働いていました。

大学1年生の時から現在まで、約6年にもわたって教育業界に身を置いてきました。もちろん生徒に勉強を教えることは楽しいですし、教育に携わることが至上の生きがいでもあります。

長いこと塾業界に関わっている私ですが、実は高校生の時に塾のことを毛嫌いしていました。今回は、高校時代塾のことが嫌いだった理由について書いていこうと思います。


塾が嫌いだった理由

1.偏差値至上主義への疑問

私は中学1年生の後半から覚醒して勉強が得意になったのですが、偏差値で測られる日本の教育に疑問を持っていました。

人にはそれぞれ得意なことがあるのに、学力と言う一つの側面だけが重視される社会に納得ができず、多様な価値観で評価される社会が理想だと考えていました。

2.格差の拡大

偏差値には親の経済力が影響します。経済的に余裕のある家庭は学習塾に通わせたり家庭教師をつけたりできますが、余裕のない家は教育にお金をかけられません。自分の過程が裕福ではなかったという劣等感も相まって、塾に対する嫌悪感を抱いていました。

お金持ちの子供は塾に通って頭の良い高校や大学に通って大企業に就職し、貧乏人の子供は最低限の教育しか受けられずそこそこの高校に通ってそこそこの大学に入って中小企業に就職する、というループが発生してしまう。このループによって格差が固定化され、貧乏な親に生まれた子供は這い上がれないのではという安易で極端な考えに支配され、自分は貧乏な親の側にいるという被害妄想にとらわれていました。

教育格差、社会的な格差が生じる理由が学習塾にあると考えていたため、学習塾の存在を憎んでいました。

3.社会システムへの疑問

高校生の時、学力が高い人材だけでは生産性が上がらず社会システムがうまく回らない、と生意気な考えをもっていました。

日本の政治に対する漠然とした不満を抱えており、社会全体に閉塞感を感じている理由は偏差値至上主義の官僚や政治家が国を動かしているからだと考えていました。

また営利主義で動く塾を金の亡者だと思っていました。学力と言う価値のないものをさも価値があるように謳って高いお金をだまし取る悪徳な詐欺師のように見えていたのです。

数学愛好会でも塾への悪口を言いまくっていた

以上の理由で、塾を社会に不要な存在、無駄な存在だと考えていました。その考えを持っていたため、予備校に通う同級生を見てくだらないと感じていました。

そもそも塾と予備校の区別すらついていませんでした。予備校が何をやっているのか理解していないくせに数学愛好会の後輩に自分なりの批評をぶつけていました。今考えてみると、塾や予備校のことを深く知りもしないで批判するのは愚かな行為だったと反省しています。

まとめ

高校時代に思いっきり塾のことを毛嫌いしていた私が大学生になって塾のバイトを選び、現在も塾業界に携わっているのですから、人生とは何と不思議なものでしょう。

次回は、教育業界との接点を持ったきっかけについて書いていこうと思います。


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