森鴎外の秀才ぶりを裏付ける仰天エピソード
7月9日は大正11年に文豪・森鴎外が亡くなった日です。
今年は没後100年に当たります。
森鴎外の代表的な作品は、「舞姫」「うたかたの記」「山椒大夫」「高瀬舟」など数多いです。
そんな森鴎外は文豪として知られていますが、むしろ医者が本業で陸軍の軍医として最高位の軍医総監まで務めたエリートでした。
石見の国 現在の島根県の医者の家系に生まれた鴎外は、幼少期から神童と呼ばれていました。
それは、6歳で「論語」7歳で「孟子」を学んだというエピソードが物語っています。
10歳の時に父親と上京して医学には欠かせないドイツ語を学び、なんと12歳にして現在の東京大学医学部に入学しました。
ところが、当時の入学資格は14歳以上と決まっていましたから、年齢をごまかして入学していたそうです。
当時は予科、本科合わせて7年通う必要があり、19歳で卒業しました。
12歳というと、試験を受けたのは、今の小学校6年生のときになります。
いかに鴎外が、秀才であったかを証明するようなエピソードですね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?