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【直球勝負】東京オリンピック開催を目指すべき大事な1つの理由

2020年の頭から始まった新型コロナウイルス感染症による影響は、その年の4月には全国に緊急事態宣言を発令するまで広がり、今日にいたるまで様々な業種の方々にかなりの影響を与え、まだ収束の見通しは立っていない。

かくいう私自身もコロナ禍で整理解雇された身だ。
実は一昨年摂食障害になり、体重は10kg以上も落ちた。身も心もボロボロになったところから管理栄養士さんやトレーナーさん、広島のとあるジムの方の協力を得て、1年かけ昨夏ようやく10kg戻ったところまで来た。「ここから!」というところでの出来事。今シーズン社会人野球の選手として復帰出来るのかと、コロナ禍と自分の現状を重ね合わせて不安な日々を過ごしている。

私は1つ気になっていることがある。それは「東京オリンピック開催は出来ないんじゃないか」という声が上がりつつあることだ。もちろん新型コロナウイルス感染症が全世界的にパンデミックを起こし、予選すら難しいのではという状況は理解している。

しかし、そうした声が昨年春先からスポーツ関係者、特にチームドクターやトレーナーと呼ばれる選手と密接な関係にある人達から上がっていることに強い違和感を覚えた。

そして僕が尊敬してやまない、中国地方のとある地方局のベテランアナウンサーもこう話していた。
「東京オリンピックを楽しみにしていらっしゃる方もたくさんいるから」
その言葉を聞いた時、僕の中で明確に東京オリンピックはどのような状況であっても、開催を目指すべきだとはっきり思えた理由が出来た。

それは「東京オリンピックを楽しみにしてくださる方にとって人生で1回のオリンピックになりうる」から。
前回の東京オリンピックを経験したおじいちゃん、おばあちゃん。オリンピックの自国開催は冬季オリンピックしか経験のない世代。オリンピックというものを物心ついた今知って、人生が変わろうとしている子供達。オリンピックは家族の思い出になりうるかもしれなからこそ、オリンピックは見たいなと思って頑張って生きている人々。

もし東京オリンピックは「無理だ」と発言するスポーツ関係者がいるのならば、今すぐにスポーツから離れるべきだ。

どんなに力の差や環境に違いがあっても、相手に勝つための準備と工夫をして勝負に挑む姿勢があって初めて「スポーツで勝負する」土俵に上がれるのだ。それは小さい子が相撲でじゃれ合ってる時であっても、お金を貰って一生懸命にプレーして喜んでもらう立場であっても、それは一切変わらない。

スポーツで我々が学んだのは「周りと比べるのではなく、目の前の一つ一つの積み重ねが自分にとって輝かしい結果や誇らしい瞬間を生む」のではなかっただろうか?

2020年の春先「東京オリンピックは無理だ」とスポーツ関係者がつぶやいているのをTwitterで見かけたが、1年も前のことを「無理だ」と決めつけて何が始まる?
1年延期され2021年を迎え、1月になっても緊急事態宣言が再発令されるとなった時も国の関係者が「こりゃ無理だ」という声を人に話して何が始まる?

もちろん世界規模の流行が見られる新型コロナウイルス感染症をコントロールすることは難しい。でも自分以外をコントロールすることが難しいこともスポーツで学んだはずだ。

であればスポーツ関係者が呼びかけるべき言葉は「やるべきことを徹底しよう」などではないか?誰もが今の状況を悲観して、ファイティングポーズを下げる立場にはいないはずだ。ならば”微力”の積み重ねしかない。
失望や批判を国民だけではなく、翻訳して世界の人たちが見ている。

4年間、いや5年間頑張ってきている世界中の選手、1964年以来の自国開催の夏季オリンピックを心から楽しみにしてくださる子供からお年寄りの方々が今後の行方に注目する中で、「無理だ」の一言がどれだけの人の心を犠牲にするか。それは我々のスポーツを見に来て喜んだり、楽しんだり、元気になってくださる1人1人への裏切り行為でしかない。

世界中の人が集まり、スポーツで1番を決める瞬間を皆さんに見てもらい、喜んでもらうのがオリンピックだ。そしてどんな競技、どんなスポーツの大会においても、オリンピック以上に世界中の人が盛り上がり、思い出として後世に語り継がれることのある大会はない。

そしてこの国には、このような状況で口に出すと咎められたりするので中々言えないけど、オリンピックは見たいなと思って生きておられる方がたくさんおられる。スポーツに関わるものは全員、原点に立ち返り、その思いに応えるために今は全力で知恵を絞るべき時だと強く思う。1つの思いに向かって今は行動すべきだ。

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