Participation
Participation
(読み: par-ti-si-pa-sjɔ̃ パルティスィパスィヨン )
はフランス語で *参加、関与*
という意味
これについて先日の同僚との話がふと蘇ったので書いておこうと思う📝
フランスの学校では、評価の欄にParticipation というのがあって
授業への積極性、参加率を評価されるらしい
日本に住んでいるフランス人から
学校の評価でParticipation があまり高くなくて、 通知表的なものに« シャイだ、控えめだ »って先生のコメントに書いてあるのが常だった
というのを聞くことがよくあって
日本が合うってことは、つまりフランスではシャイなのかぁと
そんなふうに思ってた
積極性や物事に参加すること
自分の意見を伝えること
自分の立場を明確にすること
これはフランス人社会ではかなり重要視されてて
黙っていること、人の話を聞いているだけというのはかなりマイナスになることがある
人の話に質問をしないと
冷たい人
って判断されるし
同僚から週末の話題を振られて
上手く答えられないと
??????
ってなる。
なんもない週末だったとしても
とにかく何もせずリラックスしたとか
ちょっと近所を散歩して面白いもの発見してどんなこと思ったか、とか
とにかく話すことが重要で
なんもない日常なんてないよなと思わされる
日本ではよく、
無駄口叩くな
とか
口じゃなくて手を動かせ
なんて言葉を聞くし、親なんかから言われることもあると思うけど
フランス人は
とにかく喋る、喋る、喋る
他はさておき
喋って誰とでも朗らかにコミュニケーションが上手くできるとそれだけで一定の評価をされたりする
それだけと言っても、つまりはそれがスキルということなんだけど
あの人は口だけだ
油を打ってないでさっさと仕事をしろ
なんて日本では聞こえてきそうなだなこの場面
ってのが割と当たり前に良いこととして日常にある
(もちろん、それに対しての評価ってそれぞれなんだけど、日本の”おしゃべり”への評価とは一線を画す)
私は、積極性があるタイプで
思慮に欠ける、思いやりがない
みたいなコメントを通知表に書かれていて問題視されてた記憶があるから
まるで逆だな、フランス教育で育ったらもっと楽だったかもなぁ〜と
Participation の話を聞くたびに思う
国や文化によって、本当に言動の評価は変化すると思う場面が沢山ある
もちろん、人となりみたいなものは滲み出るもので
文化を超えてそれを感じることもよくあるんだけど
とにかく日本の教育では評価されないことが
国外でめちゃめちゃ評価されたり
それがスタンダードだったり
そんなことはよくある話で
それがやはりどの国同士でもあるということ。
そして、どの文化同士でもあることで
つまりは、どの組織同士でもあること。
同じ人間の同じ行動でも
日本では
静かに先生の話を聴いていれば
傾聴ができる、人の話をよく聞いているね◎
って言われるけど
フランスで
黙って話を聴いていると、
積極性がない、自分の意見がない
そう評価される
自分のコンプレックスとか
短所だと思ってることは
どんな環境にいるかによって変わるんだよね。
評価されないな、って思ったら
自分を変える前に、環境を変えたらいいと思う。
好きな人との歩み寄りの努力は大切だと思うけど
評価を受けるために自分を修正してしまうというのは危険だなって思っていて
もちろん、どんな努力だって
無駄とは言わないけど
人生そんな長くないし
心は元に戻してあげるのに時間かかったりするから(そもそも見えないし)
嫌な気持ちや評価されないっていうフラストレーションは
場所が違うかも
の目印かもしれない
心地よい場所は誰にでもきっとあるよね〜
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