見出し画像

自分の人生は自分のために使いたい

ジェンダーバイアスに苛まれてきた日本女性を代弁しているかのような、話題の朝ドラ『トラツバ』(寅に翼)。

主人公のトラちゃんの義理の娘(事実婚だけど)が彼氏を家に連れてきた回で義理娘が言った言葉がわたしの心にブスリと刺さった。

彼氏を家に連れてくるということは,まぁつまり,そうだ,ずばり結婚を意識しているわけで,この回はそういう流れになった。

そして,義理娘の彼氏は,「自分の人生は自分のために使いたい」と言い放った彼女を全肯定した。

ああ,そうだよ。それでいい。

家族だからと言って,誰かのお世話をするためにいるんじゃない。

例えば,お世話をすることで報酬を得ている人がいるならばそれは立派な「職業」だ。

だから専業主婦は立派な職業だ。わたしだって,子どもが生まれて半年間は専業主婦だったし,職場復帰を得てまた妊娠して,2人目が生まれたら全く動けなくなって,職探しをする気にのもなれず勝手に育休した。

誰かの24時間のお世話(ケア)をすることは,とてつもない労力がいるし,体力も気力も奪っていく。

だから人の力を借りたらいい。

頭ではわかっている。だけど,全権を任せられる人はいないから,なんだかんだ文句をいいながら主婦をしていた。

子育ては好きだ。でも家事は嫌いだ。子育てをしながら家事をするのはもっと嫌いだ。

いやいやながら家事をして,さぁ休もうと思うと「えーん」と子どもが泣く。子どもが真夜中におもらしをする。

泣く子をなだめて暗がりの中,トイレに連れ出し,お着換えさせて,シーツを変えて寝かせる。これが7~8年続いた。

今でも子どもが発作で起きればわたしもガバリと起きるし,子どもが熱を出せばそれなりに起きてケアする。

そんな感じで24時間体制で母親業をするのは,嫌いじゃない。でも疲れる。

そんな時,保育園のお迎え迄の時間にカフェに行く。カップ1杯の温かな紅茶を飲むとじんわりと胃も気持ちも落ち着いて,保育園から帰ってきて寝かしつけまでの激戦の4時間を気合で乗り切れた。

今は子ども達もみんな就学して,もうおもらしでシーツを濡らすこともないし,登園の時にお熱を測って食べたものをすべて記録することもおむつの補充もない。

小学校に上がったら,やっぱり24時間体制は同じ。

でも,思う。

保育園はわたしのオアシスだった。安心してあずけて働けたのは,保育園の先生たちのおかげだった。

小学校は学校で教育,保育はやっぱり保育で,福祉政策なのだ。

その区分けは今は幼保一体が主流になり,幼児期においては教育も福祉も一体型の子ども園に変わってきて,日本のおかしな縦割り行政の壁が薄くなってきている。

もちろん小学校の先生はよく子どもたちを見て下さる。だけど,それはあくまでも学習が中心で,生活全般ではない。

そんなところまで先生に押し付けるのは先生が倒れてしまうし,教員の過重労働の負担を減らすために多くの取り組みが行われていることも教育現場にいてよく知っている。

結局,家庭なんだよな。

自分のために時間を使いたいし,自分の大好きな人たちのために時間を使いたい。2つの相反する想いがあって当たり前で,それが人間らしさでもあって,それが自律神経系からも説明がつくなんて面白い時代だなぁと思う。
(副交感神経から言える)

そんなことを家庭裁判所の設立への想いと変遷を描いてもいる『虎に翼』を見て思った。

精神科医療ソーシャルワーカーの精神保健福祉士の国家資格を取るために通った専門学校で,精神医学の中の福祉のことを初めて習った。

心理学専攻の大学や大学院では,全く習わない知識だった,第二次世界大戦後,国民皆保険だとか国民年金制度とか,そういう福祉サービスの成り立ちを知った。

日本の子どものためにたくさんの官僚や篤志家が動いてセーフティネットを作ったことに胸が熱くなって,このバトンを次世代に渡したいし,その思いを伝えていきたいと思った。

だから,わたしは生涯発達心理学を学ばせてもらえた環境に感謝するし,この知識を女性と子どもに還元したい。

てことで,YouTubeで地味に啓蒙活動をしております。ご視聴いただけましたら嬉しいです。






この記事が参加している募集

論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。