【#生きる音楽】多摩川の河川敷から見る「茜色の夕日」
毎日楽しいなんて有り得ない事はわかってる
でも不意に殴られるような辛いことがあると、やっぱり気持ちをそちらに持っていかれる。
最近出会った女子大生に「フジファブリックの茜色の夕日って知ってます?」と聞かれた。
もちろん。と僕は答えた。
彼女は20歳なのに僕らの世代の音楽を好んで聞いていた。
とても素直で独特の感性で物事を見る女性だ。
何度か飲みにも行ったが、とても話が弾んだし、彼女なりの感性で物事を捉えて、しっかりと考えているなと感じた。
そんな彼女が僕に「茜色の夕日」の話を持ち出したのがひどく印象的だった。
最初僕は大学時代の友人にこの曲を教えてもらった。
その子は地方出身だったので曲に出てくる
「東京の空の星は見えないと聞かされていたけど、見えないこともないんだな」
この歌詞にとても感動したと言っていた。
僕は東京に近い横浜の出身なので本質的に彼の言葉を理解できたかどうかはわからないけど、僕もこの曲を聞いてみようと思っていた。
エモいという言葉が乱発され消費されるSNS
本当にエモいかどうかは人によるのにこれはエモいと断定的な意見も多く見かける。
そんな中で「茜色の夕日」は僕にとってのエモいの象徴的な存在である。
曲も歌詞もサウンドもすべてが叙情的でそこには常に情景をはらんでいる。
そんな情景が僕らの心に語りかけてくる。
その度に僕は昔の恋人や楽しかったあの頃を思い出している。
生きていれば嫌なこともある。
でもそこに理由なんてなくて、
何気ない言葉に傷ついたり、
うまくできない自分に憤ったり、
または誰かを傷つけたり、
そんな風にぶつかりあいながら僕たちは毎日を積み重ねてる。
この時期、好きな景色がある。
多摩川の河川敷。それも神奈川側からみる夕日だ。
橋を渡ればすぐ東京に行ける。
でもその川は大きな隔たりとなって僕の気持ちと場所を分断する。
東京という街はいろんなチャンスに溢れている。
僕らはチャンスを求めてる。
でも失敗ももちろんつきもので。
そんな当たり前のことを静かに考えられるのがこの河川敷なのだ。
「君に伝えた情熱は、呆れる程情けないもので。」
この曲を初めて聞いた時から変わらない。
僕の情熱なんて呆れる程情けない。
でも最近少しだけ自分らしくなれたんだよ?
そんな事を過去の自分に少し伝えたくなった。
この曲を僕に教えてくれた彼とはなかなか会うことは無い。
彼も元気でやってるかな。
そんなことを思いながら家路についた。