それでも生活はつづく。
好きなバンドがいくつかあると、絶対に避けられない出来事が起こる。脱退、休止、解散などだ。
バンドマンたちはそんなショッキングな発表をした際のコメントに「メンバー、スタッフと話し合いを続けて来ましたが」と表記する。だけど、我々ファンに届けられたのはその結果である。
そう、いつだって、結果だけを報せられてきた。
『バンドだって「生物」なのだから、いつまでもそこにあるとは限らないんだよ。』と言ったのは誰だったっけ。
だから出来るうちに貢献をしておきたいし、ライブにだって行っておきたい。そのバンドが"確かにその時そこに存在していた"んだということをこの目に焼き付けたい。
そう思ってはいるものの、それを、好きなすべてのバンドに適用することはなかなかに難しいのだけれど。
当たり前に、日常と同化してしまった景色でさえ、まばたきをした次の瞬間には色彩がすべて反転してしまったくらいに様変わりしている可能性が、いつだってある。
ある日、突然。
とんでもなく大きな事件に巻き込まれるかもしれないし、天災に遭うかもしれない。誰かに騙されるかもしれないし、誰かが亡くなってしまうかもしれない。そして、自分の命でさえ、いつだって危うい。
分かっているつもりでいた。
だからいつだって心の準備をしているつもりだった。
何が起きても驚かないように、傷つかないように。心を大げさなアーマーで覆って、兜も盾も装備して。
だけど、やはりこたえる。
テレビの中で、あるいはステージの上で輝いていたスター。
そしてキラキラと煌めいていたアニメーション。
僕だけでなく、きっと多くの…ほんとうにたくさんの人の希望であったはずのものが、あっけなく排除され、燃やされ、消えていく。
罪がどうとか、責任がどうとかを考えるよりも先に、悲しい。寂しい。
ただ何故か、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「新世紀のラブソング」が頭の中でリフレインしている。
確かな言葉が見当たらず、言い当てる言葉も見当たらない。
それでも生活は、世界は、続いていく。何もなかったように。
でも、ほんとうに何も無かったのだろうか。
そのまま、時の流れにその身を委ねてしまっていいのだろうか。
そして、出来ることはなんだろう。
無力でもそう思ってしまうし、そう思っていたい。
報せられる結果に一喜一憂したとしても。