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【評論】ドキュメンタリー映画『アヴィーチー:アイム・ティム』アヴィーチーことティム・バークリングの人生の軌跡を追う

はじめに

「時代を越えた音楽が作りたい。形が変わっても何百年たっても色あせないメロディーだ」────アヴィーチー(ティム・バークリング)

昨年の暮れ、12月31日にヘンリック・バーマン監督作のドキュメンタリー映画『アヴィーチー: アイム・ティム(原題:ないし英題:“Avicii – I’m Tim”)』がNETFLIXで公開されました。

斯く本作は1989年9月8日にスウェーデンのストックホルムで生を享け、2018年4月20日に夭逝したDJ兼音楽プロデューサーであり、アーティストであり────紛れもない音楽界の天稟、アヴィーチー(Avicii)にスポットライトを当てた記念碑的映像作品です。本名はティム・バークリング(Tim Bergling)。アヴィーチーの逝去を受け、2019年に始動した本プロジェクトは、当初スウェーデン国営テレビ向けの1時間番組として構想されていたものの、彼の両親の協力のもと、彼が生前に遺した膨大なアーカイブ映像やインタビュー素材が余すことなく使用され、アヴィーチーの人生をより緻密に描写した、奥行きのある映画作品として結実に至りました。


アヴィーチー(Avicii)ことティム・バークリング(Tim Bergling)

先ず以て、本作の鑑賞終了直後に胸裡に沸き立った率直な所感を述べさせていただきたく存じます。正直に申し上げますと、アヴィーチーの楽曲を出来得る限り、原曲通りのフル尺で、もっと存分に映画の中で挿入して取り扱ってもらいたかった────楽曲の挿入があまりなされておらず、物足りなさを覚えたのです。また、『ウェイク・ミー・アップ』の制作の裏側につきましてはかなり詳細に掘り下げられていたものの、その他楽曲の誕生秘話等々の深堀もあってほしかったと、些か不満が拭えないでいましたが、本作の監督たるヘンリック・バーマンのひとつの声明に触れた折、此の下らない所感を改めることに致しました。以下が該当の声明です。

「インタビューの中で、彼は『このインタビューは僕という人間をよく表している。もし僕のドキュメンタリーが作られることがあれば、このインタビューを使ってストーリーを伝えてほしい』と語っている場面がありました。彼はそこで『もしドキュメンタリーが作られるなら、アルコールについて話さなければならない。僕の人生の悪い部分についても話さなければならない』と語っていました。私はこのような手がかりを探していました。何時間も何時間もティムの話を聞いて、彼を理解し、彼という人間と、この素晴らしいアーティストであるアヴィーチーという人物のパズルを組み立てようとしていたのです」

確かに、本作を一瞥すれば即座に気づかされることでありますが、『アヴィーチー: アイム・ティム』は、アヴィーチーというアーティストの天賦の才と華々しいキャリアを単に賛美するのみのドキュメンタリーではなく、ティム・バークリングという一個の人間の是非曲直の全てをひっくるめて此れを明らめんとする取材記録と言えましょう。左様、本作はティムのスーパースターとしての煌々と輝く表舞台での側面だけでなく、本作中のインタビューでの彼の言葉を借りるならば、「人生の悪い部分」についてもグロテスクなまでに容赦なく迫っています。此のドキュメンタリーが描き出さんとしているのは、アヴィーチーとしての音楽的才能を讃えること以上に、ティム・バークリングという人間の本質に他なりません。斯様に考えますれば、アヴィーチーの楽曲を中心に据えて、その制作工程を深堀っていく構成にするのは、此の映画の主旨から逸脱しかねない。そのように思い至った次第でございます。

さて、本作のあらましについて概ねご理解いただけたと存じますので、話を進めると致しましょう。

なお、先程述べました通り────此の映画はアヴィーチーというアーティストの栄光を描いたドキュメンタリーではなく、ティム・バークリングというひとりの人間の実像に迫るドキュメンタリーです。故に、以降本稿におきましては、彼を「アヴィーチー」と称するのではなく、「ティム」と呼称することと致します。

本稿の構成と致しましては、まず初めに、ティムという人物が如何にすさまじい音楽的才能を有した天才であったのかについて、簡略ながら纏めて書き連ねて参ります。その後に続きましては、本作を鑑賞した上で私が抱いた主観的な感想を、拙き筆にてつらつらと綴らせていただきます。

Genius Tim────音楽界の天稟

「まず彼の才能に畏敬の念を抱いた。僕には理解できない方法で彼は偉才を発揮した。ティムの音楽は寛大なんだ。感動的で高揚感があって希望に満ちている。僕にはそれが魅力だし他の人も同じだと思う。不朽のメロディーだ。」────クリス・マーティン(コールドプレイのボーカル)

そもそもティムとは何者なのか。彼はスウェーデン出身のDJ兼音楽プロデューサー────或いはアーティストと称するべきか────いずれにせよ、彼は無類の音楽的才能を備えたGenius(天才)です。

では、具体的に彼の音楽的才能の何たるかについて語りましょう。先ず第一に、彼のメロディーライターとしての才覚は特筆すべきで、万人に愛される、詩情豊かでキャッチーな、魅惑的なフックを創出しました。『レヴェルズ』や『ヘイ・ブラザー』は、その極致と言えましょう。メロディーライターとしての彼の卓越した才については、『アヴィーチー: アイム・ティム』に出演している多くのアーティストらの口から言及されており────此の点につきましては、後程詳しく述べさせていただく所存でございます。

彼の偉才をもうひとつ挙げるならば、それはまさしく、EDMの音楽的表現の進歩に大きく寄与した点に他なりません。ティムはEDMと他のジャンル(特にカントリーやフォーク)を巧妙に融合させ、前人未踏のサウンドを紡ぎ出しました。『ウェイク・ミー・アップ』は此の点におきましては実に象徴的で、カントリーミュージックの要素をEDMに輸入し、交錯させ、此の革新的営為は音楽産業に未知の波紋を拡げることとなりました。

個人的に印象的だったエピソードを振り返る

メロディー至上主義

「友達にFL Studioを教えてもらった。人生初の音楽ソフトだった。ダウンロードしてみたら最高だった。ギターやピアノを演奏しなくても作曲することができた。サウンドの善し悪しをつかむだけでよかった。人生最大の出来事だった。」────ティム・バークリング

本稿におきましては、以降『アヴィーチー: アイム・ティム』を鑑賞した際の私的感懐を収拾し、心象に深く刻まれた箇所をピックアップして論じてゆきます。

映画序盤、ティムが少年期から種々雑多の音楽ジャンルに深い関心を寄せていたというエピソードが語られ────のち彼はFL Studioという音楽制作ソフトの存在を知り、此れはティムが作曲に没頭する契機となりました。


FL Studioの編集画面。自在に繰れるようになるまで辛酸を舐めること請け合いだ。

楽器によって音を奏でる。即ち、アナログ的手法で創出されたサウンドから滲み出てくる非完璧なハンドメイドの味わいや匠の業といった要素を排し、メロディーの是非のみに専心する彼の音楽哲学は、以前私が拙評を論じた音楽ドキュメンタリー映画『ロックフィールド 伝説の音楽スタジオ』に出演し、デジタル的手法での作曲を「今の音楽は味気ない。音源をメール(“f**kin’ mail”)でやり取りするんだ。」と厳しく批判したリアム・ギャラガー(オアシスのボーカル)や「完璧さが全てじゃない。情報や感情を込めたいし魔法をとらえたい。」と言及し、アナログ的手法での作曲に誇りを持つ他のロックミュージシャンらとは鮮烈な対照を成しております。この両者間の相克は、現代音楽のプロセスの在り方を問うものであり、深い知的興趣をそそります。


リアム・ギャラガー (Liam Gallagher)

ナイル・ロジャース(アーティスト)が、ティムのメロディーライターとしての才覚の底知れぬ可能性を顕わに示す、極めて興味深いエピソードを映画の中で語っています。曰く、「彼ほど天性のメロディーライターは会ったことがない。俺がリフを弾くと────たった数秒で…それを本能的にベースラインに持ってくる。1オクターブ下げる。本当にすごかった。」と。ティムと仕事を共にした多くの業界人やアーティストが異口同音に彼の音楽的才能のうち、殊にメロディーセンスが際立っていたと言及しており、更には、ティム本人もそのことを自負していたことがインタビューの端々から窺えます。

ティムは、音楽においてメロディーは中核を成すものであり、卓越したメロディーを孕む楽曲こそが何百年先の彼方でもあらゆる形で存続し、時代の隔壁に剋する永遠の音楽になる、と考えていました。彼は音楽制作において、徹底した「メロディー至上主義」を堅持していたに違いありません。

ティムの旗揚げ

「彼(アッシュ)は単刀直入に僕に言ってくれた。“来年には君を世界一の大物DJにする”と」────ティム・バークリング

ティムが未だ一介のティーンに過ぎなかった当時、彼は音楽を生業としたいと希求しつつも、歌唱の才には恵まれなかった彼は、その夢は叶わぬものと諦観していました。しかしながら、彼は音楽自体を捨て去ろうなどとという気概はさらさらなく、己が制作した楽曲を幾度もハウス音楽のブログに寄せていました。

或る日、ブログで「アヴィーチー・フィルグッド」と名乗るティムにアッシュ・ポアノーリという慧眼の持ち主が目を留めました。彼はティムから才気の片鱗を見出し、抜擢します。時はティムが18歳の頃。アッシュは後のティムのプロデューサー、マネージャーであり────「彼なくしてアヴィーチーは存在しえない」とまで言わしめるほど、ティムの人生に深甚なる影響を及ぼした人物です。

DJとしての門出を迎えたティムは他のアーティストとのリミックスの仕事を主軸として活動の帆を張りつつ、オリジナル楽曲の制作にも着手していました。彼は楽曲制作の最中、アッシュから音楽理論に裏打ちされた適格かつ示唆に富む助言を十二分に授けられ、此れはティムの作曲の技量と才覚の深化を促しました。

DJとアーティスト間で大いに異なる実態

「彼(アッシュ)からDJを学んだ。技術的な部分は簡単だ。DJをする時の考え方が大事だと教わった。」────ティム・バークリング

アッシュはDJとしてのマインドとして「場を読む力が必要であり、喩えるなら聴衆を旅に連れて行く感覚だ」と語っています。また、ティム自身(まだ一介のクラブDJだった頃)DJとしてステージに上がる際の心構えとして、インタビューで斯く言及しました「クラブに集う聴衆は皆自分の曲をほとんど知らない。その上で、聴衆の好みを掴まないといけない」と。

此の2人の言葉の端々から窺うに、DJたる者、クラブに訪れた客人は飽きさせることなく、絶えず楽しませることが職分であるということが分かります。それはアーティストと称されるよりも、喩えるならば、サーカスの演者や漫才師のようなエンターテイナーと称するのが相応しい。DJとアーティストの実態の差異が鮮明に浮き彫りとなったエピソードと言えます。

EDMという音楽ジャンルの表現の在り方の革新

「始まりはハウス音楽だった。けど今はあらゆる音楽が作れる。可能性は無限だと気づいた。独自のサウンドも保てる。可能性が広がったのは他のアーティストのおかげだ。」────ティム・バークリング

アルバム『True』の制作が端緒に就いた頃より、ティムはEDM以外の諸ジャンルに跨るアーティストらとの合作に挑み、従来とは一線を画す趣向を孕んだ楽曲の制作に邁進し始めました。彼と仕事を共にしたアーティストは枚挙に暇なく、その中でも特筆すべき名を挙げるならば、歌手のアロー・ブラック、ロックミュージシャンのクリス・マーティン、インキュバスのマイク・アインジガー、そしてカントリーシンガーのダン・ティミンスキーといった面々でありましょう。

序でに申し上げますと、ティムとコールドプレイとの合作である『スカイ・フル・オブ・スターズ』は、ティムの高揚的なメロディーとコールドプレイの多種多彩のサウンドが美事に交錯した屈指の名曲であり、必聴の価値有りと言えましょう。

当時の彼は、さながらキャンディーシップの子どものように楽曲制作に耽溺し、他のアーティストとの合作の愉悦を知り、彼の音楽は更に一層の成長を見せました。『True』に収録された楽曲群は、EDMにカントリーミュージックの要素が融合した────しかしティムらしいメロディーやサウンドは依然として健在な、新たなスタイルを形成したものとなっています。此れらの楽曲はEDMという音楽ジャンルの表現の在り方を変革したのです。またティムは、EDMは単なるハウス音楽には留まらず、メジャーシーンでも通用する音楽ジャンルであるということを世界に証明したのです。

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『ウェイク・ミー・アップ』の制作秘話

「ブルーグラス風のダンス曲さ。対極のように思える2つのジャンルだけどね。曲を作り進めてたらある結論に至った。歌手と歌詞が必要だって。」────マイク・アインジガー

『ウェイク・ミー・アップ』は『True』の1曲目であり、彼の代表作とも称される不朽の名曲です。『アヴィーチー: アイム・ティム』では、此の楽曲の制作裏が丹念に描写されています。

『ウェイク・ミー・アップ』はティムとマイクの2人の共同作業から始まりました。ティムが現場に到着するや否や、即座に作曲に取り掛かり、マイクが何気なくコード進行を弄っていたところ、『ウェイク・ミー・アップ』の、あの特徴的なコード進行を閃いたのだと、彼は述懐します。

サウンドが仕上がった後、彼らは歌手のアロー・ブラックを現場に招き、レコーディングを作業に着手しました。アローがまず歌い、ティムが歌のメロディーを修正し、再びアローが歌い直す。この工程を幾度となく繰り返し、レコーディングを完遂させ、最後にティムが仕上げをし、『ウェイク・ミー・アップ』の結実へと至りました。此の楽曲は僅か1日でその形を得たのです。

『ウェイク・ミー・アップ』を初めて耳にした親交あるアーティストの多くがその出来の良さに感嘆し、「間違いなく世界を席巻する」と評しました。普段は人に新曲を披露する時はどこか自信なさげなティムも此の時に限っては確固たる自信を覗かせていたといいます。そしてその期待に違わず、此の楽曲は先んじてイギリスでティム至上最大のヒットとなり、後に16か国で首位の売り上げを記録しました。

望まざる富と栄誉

「今よりも有名になる前の方がよっぽど幸せだった。空虚さを感じ始めていたんだ。自動操縦モードさ。なぜそう感じるのか本気で考え始めた。自分に正直じゃなかった。あるべき姿を演じてた。自分でこうあるべきと思ったから。忙しすぎて考える暇もなかった。」────ティム・バークリング

彼の健康上の問題と、彼自身が執拗に追い求め、渇望した幸福の在り方────此れら2つは、ティム自身を語る上で消して欠かしてはならない要素であり、『アヴィーチー: アイム・ティム』のテーマの中枢のひとつを成しています。

ティムが『レヴェルズ』を創出し、「アヴィーチー」の名が瞬く間に世界に伝播し、やがて彼の人生は忙殺の日々へと突入していきました。処々方々でライブを公演し、パスポートは酷使の末に装丁は剥がれかけるほどに擦り切れました。飛行機の中でヘッドホンを耳にしたまま、短い睡眠を済ませ、飛行機での移動の合間に作曲の時間を辛うじて確保する。斯様な苛烈なスケジュールの中、ティムは生きていました。ティムは明らかに過労でした。重ね重ね溜まり続ける慢性的なストレスの塊を過剰な飲酒で紛らわせ────遂に彼は膵炎を患うに至ります。

彼は誰もが羨望するキャリアを築き上げました。トップアーティストとしての地位、莫大な資産。その表層のみに着目すれば、彼は紛れもなく幸福に満ち溢れているかのように映ったことでしょう。しかし、その内実はまるで異なります。当の本人は幸せの対岸にいた────彼はインタビューで斯様に自らの胸裡を告白しています。「自分のものではない幸せの概念を追っていた。」「僕の夢はすでにあるものに満足して安心することだ。あれもこれもしたいという野望を持つことじゃない。僕はただ人生の概念から解放されたい。人生を生きることから僕を遠ざけていたのは幸せな人生とはこうあるべきだという考え方だ。」と。此れらの言葉から、彼が如何に切実に幸福を渇望していたのかが垣間見えます。

ティムを良く知る旧友は、彼の性格について「本当の彼は繊細で自信がない性格。不安感が強い。」と述べています。ティムはスーパースターになるだけの圧倒的な天賦の才能を有していたのにも関わらず────彼自身の気質は非常にセンチメンタルで、スーパースターには不相応だったのです。彼は自身の内なる苦痛を巧妙に隠蔽し、(他人にSOSを送るのは彼の性分ではない。否。もしかすると、彼は自身の楽曲『SOS』で実は救難信号を暗に出していたのか?)故に友人の多くも、家族も、彼の心がめきめきと音を立てて瓦解していたことに気付くのがあまりにも遅すぎました。果たして彼が天から「音楽的才能」というギフトを賜ったことは彼にとって幸福なものだったのか────その問いに思い至らずにはいられません。彼が生前抱えていた多くの苦悩を鑑みるに、皮肉にも、彼の内に宿るあまりに巨大な才能が、彼自身を破滅へと追いやったのだという思いを拭い切ることができないのです。

此の悲劇を通じ、私事ながら、かつての高校時代の美術教諭の恩師が私に仰った、「アーティストにとって身体が何よりの財産だ」という言葉を想起し、此の訓えは真に正しかったのだ、と痛感致しました。命があり、健康であって初めて、人は創造の営みを成すことができるのですから。

おわりに

長きにわたり、私はアヴィーチーの音楽に魅了され、心を寄せて参りました。しかし、此度の本作の鑑賞を通じ、彼が「アヴィーチー」というEDMのカリスマ的存在である以前に、一人の人間、「ティム」という本来の彼との間接的な邂逅を果たすという、得難い機会に恵まれました。彼の本来の姿は、眩いスポットライトを浴びるスーパースターの煌めきとは遙かに一線を画す────むしろ人間らしいセンチメンタルな弱さや葛藤に満ちていました。

本作を鑑賞していると、彼が身を削り、心をすり減らし、遂には自身の幸福さえも贄にして作曲に打ち込むティムの姿を目の当たりにすると、彼の楽曲を普段只々漫然と聴いている自らの浅薄な態度は果たして如何なものかと、罪悪感に似通った感情が胸を過るのです。

此の映画は、我々の音楽を享受する姿勢に対して一抹の疑心を抱かせる作品であり、音楽鑑賞の在り方を改めるきっかけとなるでしょう。

此の映画を鑑賞する前と後では、ティムという人物に対する印象が幾重にも変容することとなるでしょう。本作は彼の音楽的才能の一端を解き明かす場面も少なからず含まれていますが、それ以上にティムという一人の人間が抱える苦悩や内面の葛藤について緻密な描写がなされていると言えましょう。

鑑賞にあたりましては、此の映画の主題が単なるティムの音楽的偉業の称揚ではなく、彼の人間性そのものを描き出す試みであるということを念頭に入れるべきです。その認識を以て鑑賞に臨むことで、本作の深層、更には制作陣が託したメッセージの核心にアクセス出来ることとなるでしょう。

R.I.P Tim.


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