名著という言葉でも足りない。佐々涼子『エンド・オブ・ライフ』
読み終わるのに2週間かかった。ノンフィクションで読了するのにこれだけ時間をかけた本は初めてだ。
本書は在宅医療の現場を取材したノンフィクション作品である。
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多くの患者さんたちの人生の最期を切り取った作品だ。ひとつひとつのエピソードが私がこれまで考えてこなかった、(目を背けていたと言ってもいいのかもしれない)ことばかりだった。
人生の最期は正解があるのではなく、それぞれの家族で正解を見つけるしかないのだと知った。
亡くなるタイミングでこれまでの頑張りをたたえられ家族から拍手を送られる患者さんもいた。
脊髄梗塞という病気で痛みがひどく「生きる意味って何ですか?」と著者に問う患者さんもいた。彼は最終的に自殺した。
この本をどう表現したらいいのか。私にはまだその言葉が出てこない。少なくとも「死」について考えざるを得なくなる一冊であることは確かだ。
読みながら自分の死生観について考えるきっかけになった。
私は成人してから身近な2人の死を経験した。
祖母の死
私が20代前半の時に、父方の祖母が亡くなった。祖母は近くに住んでおり毎日私たちの家にお風呂に入りに来ていた。
唯我独尊のとんでもないばあさんだったのだが、私とは妙に気が合った。喧嘩も数えきれないぐらいした。100歳まで生きると思っていた。
そのばあさんが脳梗塞で倒れた。私は仕事中だったので早退することになった。お医者さんからは「あと数日です」と言われ、家族も覚悟した。
お医者さんの言った通り1週間後にばあさんは亡くなった。ばあさんが冷たくなったとき「これまでおつかれさん。天国で楽しんでくれよ。」と声をかけた。その時少しだけ涙が流れた。
それ以降ばあさんのことを思い出しても楽しい記憶しか残っていなかった。
涙を流すことは一度もなかった。
叔父の死
母の弟の叔父は2年前に亡くなった。くも膜下出血だった。
叔父は遊び人で小さい頃からよくゲーセンやらカラオケやらに連れていかれ、大人になってからもたまに飲みに連れて行ってもらった。
当時はコロナの関係で家族しか病室に入れず、私が見舞いに行けたのは亡くなる数日前だった。叔父は骨と皮だけになっていた。病室にいた叔母に話を聞くと脳死状態に近いがたまに開いている目で意思疎通ができるのだとか。
身長180㎝ほどあってガタイのよかった叔父が骨と皮。目は開いている。ただ話しかけてもなにも届かない。
叔父に昔話と近況報告を話した。叔父が生きている間に交わせる最期の言葉だと思ったからだ。一通り話して「おじさん、これまでありがとう。よく頑張ったね。」と伝えたとき、涙が流れた。
ばあさんと同じでそれ以降叔父の話をしても悲しくなるというよりは楽しい記憶だけが残っていた。涙を流すことは無かった。
実際に生きていることと、記憶の中で生きることは同じなのではないか?
死は今後その人に一生会えないから、新しい記憶を作れないから、辛く寂しい。
でも、目の前で生きていることと記憶の中で生きていることは何が違うんだろう?そんなことを20代の時から思っていた。
何がきっかけかは分からない。一時期宗教の本や思想の本を読み漁っていた影響かもしれない。吉田松陰は人生を四季に例えていたなーと書きながら思い出した。
※吉田松陰は記事を書きながら思い出しただけなので特に関係がなかった…。
祖母と叔父が亡くなってもう会えないのだけど、私は2人から楽しい記憶をたくさんもらったし、その記憶を思い出すと今も幸せな気持ちになれる。
もう十分与えてもらったのでこれ以上欲しいとは思わない。だからなのか2人を思い出して悲しくなるということはない。
もしかしたら私は自分の感情が乱れるのを恐れて、悲しい感情に蓋をしているだけなのかもしれない。あるいは少し離れた間柄なので客観的に見れるのかもしれない。
今後もっと近い人が亡くなった時はどうなるのかはわからない。
名著という言葉でも足りない
本書を読むのに2週間もかかった理由。一気に読めなかったのだ。それぞれのエピソードを受け入れるのに時間がかかった。
著者のお母さんは頭が明晰のまま運動機能が失われていくパーキンソン症候群だった。お父さんが自宅で献身的に最後まで介護された。
お母さんは胃ろうをしながら最後は目も動かせなくなって亡くなられた。
以前の私であれば「なぜそこまでして生かす必要があるのか?その恐怖を味わうのは本人なのになぜ関係のない周りの人間が生かそうと判断するのか?」と言っていたと思う。
でも、今は何というか、「正解はその家族の中にしかない」と思う。
別に本書を読んで考え方が180度変わったなんてことはない。でも著者の佐々さんに対して感謝の気持ちが生まれた。
天国の佐々さん。本書を書き上げていただきありがとうございます。
ご冥福をお祈り申し上げます。