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20人に1人いる色覚異常と復職者への接し方をつなげて考えてみる

この画像を見てください。

出典:https://curazy.com/archives/164308

みなさんは全然違うように見えますよね?

私には右下以外、全て同じに見えます。

次はどうでしょう?

出典:https://curazy.com/archives/164308

これも私には右下以外すべて同じです。

もうひとつ!

出典:https://curazy.com/archives/164308

これも右下以外同じ!

私は色覚異常といって色の判別がうまくできません。以前は色盲とか色弱とか呼ばれていました。

これらの画像を妻に見せると「左下腐ってるよ!そんな風に見えるの!?」なんて驚いていました。

この記事は「私にはこんな障害があるんです。理解してください!」という記事ではなくて、「できることと、できないことが人にはあるよね!」という方向で書きたいです。

子どもの頃は嫌だったな

子どものとき、人と異なる色の世界が見えていることが嫌でした。

私にとっては当然なのですが人とは違う。友達からは「みかん、これ何色に見える?」なんてよくからかわれました。

子どもって悪意がなく興味本位なのでしょうがないんですけどね。子ども心に傷ついた記憶があります。

また色覚異常は職業制限があります。調べてみるとこれらの職業には今でも制限がついているみたいですね。

色覚異常による職業制限がある業種には、次のようなものがあります。
・警察官、海上保安官、入国警備官などの公安関係
・自衛官
・消防官
・航空機乗務員
・電車運転士
・海技士
また、色彩感覚を要求される画家やデザイナーなどの職業も、色覚異常のある人には適さない場合があります。

GoogleAIより。

将来の夢についての作文を書くときに、私にはなりたくてもなれない職業があるんだーと少しショックだった記憶があります。

また当時は医師にもなれないと言われていました。医師になれるほどの頭がない私には関係のない話なのですが(涙)

大人になると変わってくる

私にとって普通の人と同じように色を見ることは、どれだけ努力してもできません。(今は色覚異常対応の眼鏡なんかも発売されているみたいです。)

子どもの時に気にしていた色覚異常は大人になると一種の諦めに変わります。諦めというか開き直り?

私は妻とよくバーベキューをします。焼き担当はいつも妻です。

妻はいつも「まーた私に焼かせて!」なんて言うのですが、そのたびに私は「私が焼くと生肉になってお腹壊すよ?(笑)」なんて言っています。

だって私が見ているお肉の世界はこうなのですから。

出典:https://curazy.com/archives/164308

これも右下以外全部同じに見える!

妻はあっけらかんとしていてぶつぶつ言いながらも最終的には「あなたにはできないことは私がやるからいいよ」と言ってくれます。

色覚異常が教えてくれたこと

生まれたときから色覚異常だったので結果的に良かったことがあります。

①人は見ている世界が違うことを知った

小さい頃から私の見ている世界と、周りの人の見ている世界が違うことを知っていました。これは原体験として強烈だった気がします。

大人になるとこんなことを考えました。

「見ている世界が違うのは色だけではない。私たちは全く違う世界が見えている」

これに気付いた時、猛烈に興奮した記憶があります。

例えば、お金の世界なんてそうですね。r>gという簡単に言うと、歴史上給料の伸長率より投資の伸長率の方が大きいよ!ということを見つけた学者さんがいます。

私はこれを知った瞬間、資本主義のバグだと認識しました。

だって身長率が大きい投資に働いたお金を全振りしたら、いつかお金が増え続ける一方になるじゃん!と思ったからです。

人によって見ている世界が全く違うことに気づくことは、自分だけのモノの見方を研ぎ澄ませると、もっと人生をラクに生きられるのでは?という仮説を立てるのに役立ちました。

②人間努力したところでできないことはたくさんある

私の場合どれだけ努力しても普通の人と同じ色を認識することはできません。

これって大なり小なり誰でもあるんじゃない?と思うわけです。

仕事をしていると処理能力がめちゃくちゃ高いのにコミュニケーションが苦手な人もいます。

仕事が全くできないのにチームに1人いるだけでチーム全体を明るくできる人がいます。

仕事のスピードは遅いけど仕事の正確性がハンパない人がいます。

人の能力をグラフにすると〇型ではなく型の人が多いです。

☆型のへこんでいる部分が私にとっての「色」にあたるかもしれません。周りの管理職を見ていると☆を〇にしようとする人が多いです。

つまりなんでも卒なくこなせる人を育てようとするのですね。

☆を〇にしようとすればするほど、その人の能力値の全体は小さくなります。小ぶりな〇のできあがりですね。

そうではなくて、☆を組み合わせてチーム全体として大きくいびつな図形にすることが管理職の仕事なのかと思います。

このように考えるようになったのも、自分がどうしてもできないことがあったからだと思います。

復職者への接し方

私のチームにはAさんという休職と復職を繰り返している子がいます。

先日Aさんが何件か電話を取って頭の中で処理できなくなりました。Aさんはパニックになってトイレに駆け込みひと通り涙を流したあと、産業医や保健師が常駐している健康管理センターに駆け込みました。

私が不在の時だったので翌日Aさんから「すみませんでした」と謝罪されました。

私は「自分で無理!ってなってその場から退散できたんだから大きな成長だよ(笑)」なんて話していました。

ここでも思うわけです。

今のAさんは体調の波によってどれだけ頑張ってもできないことがある。

私はそれで別にいいんじゃない?と思います。

だって頑張ったところで「今」はできないんだもん。もちろんAさんが何かをできないということは、周りのメンバーに皺寄せが行くのも事実です。それについて部下から不満が出るかもしれません。そのあたりのバランスの取り方こそ管理職としての腕の見せ所かもしれませんね。

私のチームメンバーは優しい人たちが多いので、みんな必要以上にAさんに気を遣います。気を遣うと疲弊します。

私はチームメンバーに対し「必要以上に気を遣う必要はないんじゃない?だってAさんも大人じゃん。変に気を遣うとあなたたちもAさんも疲れるよ」なんて言っています。

どちらかが弱者になる関係性はお互いが疲れるわけですね。そしてAさんがその関係性に慣れるとたぶん彼女の将来にとってもよくない気がします。

Aさんにも「できないことをできないと言うことは恥ずかしいことではないから素直に言ってね。それを言わないと周りは分からないから」と厳しめのことを言っています。

周りのメンバーにも「Aさんからできないって言われたら、今はできないんだなーぐらいに思っておいて」と言っています。

こんな風に考えるのもできることとできないことを幼いときに認識したこと。また色覚異常があることを人に伝えると、「かわいそう」と思われ過度に気を遣われると辛いことを知っているからです。

気を遣ってくれる人に悪気はありません。むしろ優しい人たちです。

でも自分が弱者と認識されるのは辛いものなのです。

さいごに

子どもの頃はバカにされて嫌だった色覚異常。

自分の未来を制限すると思い込んでいた色覚異常。

色覚異常と34年付き合ったからこそ、今の私はこんな風に考えられる。

子どもの頃の私に言ってあげたいですね。

「あなたの色覚異常は、あなたをぼちぼちいい奴にしてくれるよ!」と。

おしまい!



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