【 Care’s World case 12 リハビリを空気のように日常に溶け込ませ、誰もがWin-Winとなる文化を 〜 理学療法士 村場弘卓さん 〜 / -前編- 】
“ケアすることは、生きること”
そんなテーマでお送りしているCare’s World。
今回の主人公は、理学療法士(※1)の村場弘卓さん。
前編では理学療法士になられてから感じた違和感やそこからのアクションについてお話を伺っていこうと思います。
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暮らしをベースに考えたリハビリを
村場:僕は高校時代、野球に夢中になっていました。でも、プレーできない時期もあって…。それは、腰痛といったケガが原因でした。自分自身がケガで苦しんだ経験もあり、そんな人たちをサポートできる仕事をしたいと思い、理学療法士を目指すようになりました。
高校卒業後は、専門学校を経て、県内にある病院の理学療法士(リハビリ職)として数年勤務しました。法人が運営する離島や僻地の病院にも仕事で行かせてもらったのですが、次第にある違和感が生まれてきたんです。
リハビリをしても、治療をしても、それは患者さんにとっては“一時期的に良くなった”だけではないのか。これから先、患者さんのご家族もいなくなったら、離島・僻地で暮らす人たちはそれまでの暮らしが難しくなるのではないかって。
それは社会人になって3年目の時だったと思います。そこで「いかに在宅生活を考慮し、入院生活を送ることができるか?」というテーマを抱き、現場に臨むようにしました。
村場:単に「リハビリや治療を受けて入院生活を送る」ではなく「退院後の日常(暮らし)を見据えてリハビリや治療をする」ことが、患者さんにとって一番なのではないかと感じたことが主な理由です。
実際、病気を治したからといって、自宅に戻れない状況にある患者さんはたくさんいらっしゃいます。「何を以て、自宅に戻れるのか?」と聞かれても、それは人ぞれぞれです。皆さん、自宅の状況も違えば、暮らし方だって違います。リハビリをする側もされる側も、それらを把握した上で治療をしていかないと、ケガをする前のような暮らしをするのは無理だと感じるようになりました。
次第に、予防期に興味をもつようになったこと。そして、医療と介護を分けず(※2)にあたってみたいという気持ちが芽生え、転職をすることにしました。
ノーリフティングポリシー
村場:転職先は現在勤めている病院で、11年目になります。きっかけは腐れ縁というか…。実は、小学校時代に空手をやっていたのですが、その時の師範が現デイサービスの相談員(※4)でした。当時、デイサービス内に理学療法士が在籍していなかったことも一つの理由でした。
現場ではお互いに違う角度で意見を言い合える良き存在です。そして、直感がすごい。「これは、まずいのでは?」と感じたことがほとんど当たるんです。根拠はないんですけど、そういうことって大事だと思うんです。データ化されていることも大事ですが、目に見えづらい部分って、長い時間積み重ねてきた経験があってこそ見えてくるのかなと。
デイサービスの管理者(※5)がいるのですが、この方もリハビリテーション(※6)の重要性を理解してくれています。その二人がデイサービスを立ち上げたメンバーなんです。
村場:実は、管理者とは2012年から『ノーリフティングポリシー』(※7)という活動を行っています。きっかけは転職してすぐでした。
管理者から「ノーリフティングポリシーって知っているか?」と聞かれたのですが、その時は何もわかりませんでした。管理者は体育大学時代にラグビー部に所属していて、その後社会人になり活動中にオーストラリア遠征があったそうなんです。試合中にチームメイトが倒れ、病院に運ばれると、人力ではなく、器械を使って介助していた光景に感銘を受けたと聞いています。
実際、日本の医療や介護の現場ではスタッフが人力で介助するのが多く、腰痛が多発しているのが現状です。でも、患者さんの中には大柄な方もいらっしゃいます。人力で介助することは現場のスタッフにとって、体の負担が大きく、このやり方は長く続かないと感じていました。
管理者から「ノーリフティングポリシーの活動をやろうと思っているのだけど、どうかな?」と相談があり「面白そうですね」と返したことから活動が始まりました。
ケアなしにして、リハビリならず
村場:ケアなしにして、リハビリならず。これは僕が理学療法士として大事にしている信念です。理学療法士になった当初は「リハビリの仕事をちゃんとしていれば、患者さんは良くなる」と思っていました。
でも、現場を通して「リハビリのスタッフの手の届かない部分は介護職員(※8)に“○○してもらって当たり前”」といった空気感に違和感が出てきて…。だから、理学療法士の仕事の範疇ではないかもしれませんが、送迎にて毎日自宅での生活感の確認をしたり、自宅の茶碗洗いやトイレの介助なども普段から行っています。
ケアって、もっともっと暮らしのベースを整えることだと思うんです。リハビリという言葉自体だったり、リハビリ専門職という枠組み自体が、リハビリの概念を狭めているのかもしれません。リハビリに枠組みなんてなくて、みんなでリハビリしているんです。患者さんがリハビリするのをいろんな角度からみんなが支えて、そして、専門職がさらに切り込んでいく。そんなイメージです。
村場:リハビリをする側・してもらう側の関係性が出てしまうと、患者さんにとって良くないなと思っています。例えば「週に2〜3回、理学療法士さんがリハビリをしてくれる」ということが患者さんの頭にあったら、その時点でもうフラットな関係性じゃなくなるんです。
僕たちがその時はリハビリしても、自宅に戻って、ご家族や介護士さんが全面的に介助してしまったら、患者さんは残存機能(※8)を全く使わなくなってしまいます。そこから「何もかもしてもらえるから、何もしなくていいんだ」といった意識が生まれて、結果、患者さんは良くならない。リハビリを通して、病気やケガは治るかもしれません。
でも、患者さんが自宅で暮らしていくためには、病院以外で過ごす時間で支えてくれる人たちの関わり方次第だと思うんです。自力でできることはやってもらい、ご家族や周囲の力が必要な場合は様子を見ながらサポートし、専門的見地が必要な場合は専門職が入ることで「何もかもしてもらう」の意識から脱却する。それが僕の考える「ケアなしにして、リハビリならず」なんです。
(後編へ)
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